カテゴリー「22 吸血鬼ちゃん/魔ジョニアいぶ」の記事

はじめに

000a このカテゴリでは、吾妻マンガにおいてやや異色であろう分野、オカルトもの(?)について紹介させて戴こうと思う。すぐ頭に浮かぶシリーズは2つある。『吸血鬼ちゃん』(1973-1974)と『魔ジョニアいぶ』(1983-1984)がそれだ。ここでは記事を分け、前者についてお話ししたい。
 "吸血鬼"という題材はこのほかの吾妻マンガにも何度か登場しているのだが、そのなかの珍品には『吸パイ鬼』(1973)なんて読みきりパロディもある。僕は、ここに「ふむ?」と思わしめる理解の手がかりがあるような気がしている。つまりは、"血を吸う"という行為の根底には何か、性に関する情念が潜んでいるのではないのだろうかと。000b
 まだ赤ん坊であった頃、殆ど誰もが母乳を与えられて育ってきたことだろう。生きるうえで何の心配も無いに等しく、本当に安心していられるのが母乳を吸う時間だったのではあるまいか。人は成長して、その幸福だった時間をやがて失う。男がいくつになっても女性のオッパイに憧れるとすればそれは、男である自分には無いものへの憧憬と共に、幸福だった乳児の頃への懐かしさもあるのかも知れない。
 性において男の立場を考えてみると、射出はあっても「受ける(もらう)」要素が無い(精神面の充実は別として、物理的には)。そのへんで、満たされない何かの不足を感じ、男は「吸いたがる」のでは……などと考えたらこじつけになってしまうだろうか。
 主人公の「吸血鬼ちゃん」は、第1話で中華料理屋の娘である由美子に恋をし、こんな台詞を言っている。「行って……血を吸ってやらねば……!! ……それから ほかのところも 吸ってやらねば!!」。また『ふたりと5人』の主人公であるおさむが「愛する人のからだから出るものはなんでもオイシイ」とつぶやいている回もある(「オー! ロウ人形!の巻」)。彼らの言動にはギャグマンガの主人公としての誇張があるとはいえ、こうした「吸いたがり」願望は(程度に個人差があるとしても)別に珍しくはないのではという気がする(例えばディープキスの時に相手の舌を吸う男女は世界中にいくらでも存在するだろう)。"吸血鬼"というキャラクターは(本来の伝説からいつしか分離し)そういった欲望を具現化し結晶させたひとつの寓意になっていったのではと、精密な論拠は無いけれど、僕には思える。
 相手の体液を吸わないと(もらわないと)生きていけない(満たされない)というこのキャラクターは常に"渇(かわ)き"をおぼえており、その苦しみからの救いを求めていつもさまよっている。こうした事をさらに拡大していって考えるに、吸血鬼というものは、他者から愛(血)をもらわないと生きてゆけない、人間の本質的な孤独をとらえた題材になっているのかも知れない。
 決して満たされることなく毎度さんざんな目に遭っている主人公『吸血鬼ちゃん』の物語を読んでいて、笑いの中にどこか「ほろ苦さ」が感じられるのは、たぶん気のせいではないのだろうなと僕は思う。

第1話 吸血鬼ちゃん登場

001_2(別冊少年チャンピオン 1973年 春季号)

 なぜか現代の日本に現れた、吸血鬼ちゃんと相棒のコウモリ。ここんとこ全然えものが無くハラペコで、とうとう行きだおれになってしまった。それを、通りがかった中華料理屋の娘・由美子が助けて(?)くれる。吸血鬼ちゃんは彼女に一目惚れしたようで、その家を探し出すのだったが……。

*(注:以下、結末に言及している部分があります)
 主人公と相棒に「名前」は無い(どの作品にもある程度見られる事だが、これは吾妻マンガの特徴の1つ)。冒頭、西洋風の棺おけが引きずられて登場するのは、マカロニウエスタン(イタリア製の西部劇映画)である『続荒野の用心棒』("DJANGO" 1966年)のパロディか。
 『失踪日記』には、同じオチを2回使ってしまい編集者に指摘されて気付いたという記述があるが(p.138)、本件について『逃亡日記』では「たしか『吸血鬼ちゃん』だったかな」と補完がなされている(p.148)。この第1話で主人公の吸血鬼ちゃんとコウモリが、オチ(の一歩手前)で、鍋に飛び込んでしまいダシを取られるという場面があるのだが、ちょっと似ているくだりは『ふたりと5人』の『みんな仲良くおふろにはいろうの巻』(少年チャンピオン1973年3月5日号)に見られるようだ(風呂屋の番台殿が湯船の中に落ち、オデンと一緒に煮られてしまう、というもの)。ひょっとしてこの回がそれだったのだろうか?

第2話 再会

002_2(別冊少年チャンピオン 1973年5月号)

 中華料理屋の娘・由美子に再びせまるべく、帰ってきた吸血鬼ちゃんとコウモリ。再会すると彼女は「吸血鬼なんてヤクザなこと もうよしたら!?」と言う。本気で心配してくれる由美子に吸血鬼ちゃんは感激して「心をいれかえます ぼくは真人間になります!!」と宣言。何とかして彼を更生させたい由美子は「さしあたって家をてつだって!」と、吸血鬼ちゃんたちをつれて帰るのだったが。

*意外な作戦による防御(攻撃!?)を説明するためレントゲン写真みたいな図を用いたりしているのがユニーク(しかも「吸う」つもりで逆に「吸われる」という皮肉が利いている)。冒頭と結末とをあえて第1話そっくりにした演出も面白い。最後のナレーションは映画評論家である淀川長治の語りのパロディだろう。

第3話 愛の傷あと

003_2(別冊少年チャンピオン 1973年6月号)

 何とかして血を手に入れようと、あれやこれやの策をめぐらす吸血鬼ちゃんとコウモリ。失敗ばかりでボロボロになっていたその時、これから登校するらしい制服姿の由美子を見つける。彼女を慕う吸血鬼ちゃんは後をついてくるが、困ったのは由美子で……。

*とっても可愛い由美子だが、残念ながらこのシリーズでの出演はこれが最後になっている。カチューシャ(ヘアバンド)? やハイソックス(ひざのすぐ下までの長さの靴下)などはいかにも70年代少女らしい。学校の制服をここまでミニスカートにして着こなす女生徒は当時おそらく現実にはいなかったろうと思われる(ミニは60年代末までの流行で、70年代初頭では逆にくるぶしまである長いスカートが人気を得ていたようだ)。

第4話 神の使徒

004_1(別冊少年チャンピオン 1973年7月号)

 公園。吸血鬼ちゃんとコウモリは、ベンチで談笑している男女に何やらイタズラを仕掛ける。こっそり血を吸わせてもらおうという計略だったのだが失敗、ただのケンカに終わってしまった。そこへ突然、美少女が怒って登場「なぜあんなイタズラをするの?」と、とがめる。彼らが吸血鬼であることを明かすと「わたしが救ってあげなくては!」と言い出した。なんたることか、彼女はやにわに十字架を取り出して……。

*由美子にかわり、別の美少女が初出演。今回はまだ名前が明らかにされていないが、彼女はこのあと最終回までこのシリーズでマドンナ役をつとめることになる(「マドンナ」はイタリア語で聖母マリアを意味する場合があるらしいが、それをも兼ねて(?)か、次回からこの美少女には「マリア」という名前が与えられている)。

第5話 吸血ショーバイ!

005_1(別冊少年チャンピオン 1973年8月号)

 町内に蚊が大発生。実は吸血鬼ちゃんとコウモリが「血吸いカンパニー」なるものを始めて、蚊たちを組織化し活動させていたのだった。やがて1匹の蚊は「血を吸われても抵抗しないやつがいた」という報告を持ち帰る。吸血鬼ちゃんとコウモリが大喜びで出かけてゆくと、その人間はかの「アーメン女のマリアちゃん」だったと分かって……。

*マリアの、悪気は無い独り善がりや、世間知らずなおめでたい無防備が、闇の世界に生きる宿命の主人公たちとチグハグで悲喜劇を引き起こす。この、水と油のように混ざることのない極端な組み合わせは、たしかに中華料理屋の娘である由美子との掛け合いを上回って危険に満ちているようだ。由美子の降板は惜しいのだが、物語として仕方なかったのかも知れないと感じさせられる。

第6話 お化け大会でがんばるぞ!

006_1(別冊少年チャンピオン 1973年9月号)

 「アルバイトしたいんですけど」と、お化け大会で面接を受ける吸血鬼ちゃんとコウモリ。なんとかやとってもらえたが、「客を襲って血をいただく! 本物がニセ者のフリをする」という作戦なのだった。しかしなかなか思惑通りにいかない。そこへマリアちゃんが客として入ってきて……。

*マリアの瞳には時おり、ホワイトによる「星」が描き込まれているようだ(こうした、当時の少女マンガ的な手法は、初代マドンナ役の由美子には見られない)。もしかするとマリアは日本人ではなく、それゆえこういった表現が用いられているのだろうか? 今回彼女が口ずさんでいるのは(歌詞が無いので良く分からないが)青江美奈『伊勢佐木町ブルース』(1968)と、金井克子『他人の関係』(1973)の一節か。

第7話 オー!ライバル!

007_1(別冊少年チャンピオン 1973年10月号)

 月夜の墓場。吸血鬼ちゃんとコウモリが眠っていると、女の悲鳴で目がさめた。様子を見に行ってみたら、いかにも目つきと笑い方が普通ではない若い男が、気絶した美女をさらってゆくところだった。「もしあいつが吸血鬼だったらオレたちの商売がたき」だと考えたコウモリは、嫌がる吸血鬼ちゃんをつれて、男のあとをつける……。

*怪奇映画のパロディみたいな雰囲気が、実にこのシリーズに相応しい回。期せずして主人公が対決することになる展開がかっこいい。全体に漂う不気味な淫靡(いんび)さもギャグを増幅する触媒となっているように思う。「泣くなオッパイちゃん」という台詞は星まり子による歌の題名で、そのインパクトの強さからか、当時あちこちで使われていたようだ。ただし、EPレコードのジャケット写真(星まり子がヌードで立ち、富永一郎のマンガのパネルを持って裸身を隠している構図、ミノルフォンKA-462)を見ると「泣くなおっぱいちゃん」という平仮名表記になっており、どちらがオリジナルの題名なのか不明。

第8話 オオカミ少女でかせごー

008_1(別冊少年チャンピオン 1973年11月号)

 森の中、数箇所に落とし穴を掘っておき、その罠にかかった者から血をいただこうと企(たくら)んだ吸血鬼ちゃんとコウモリ。なかなかうまくいかないが、ついに若い娘がかかった! しかし毛皮の水着みたいなものだけ着ているこの女の子、どうも普通ではない様子で……。

*オオカミ少女は魅力的なのだが残念ながら今回のみの出演となっているキャラクター。吸血鬼ちゃんたちは木の上に作られた丸太小屋に住んでいるものの、この住居はこのあとの回では登場せず、何らかの理由により住めなくなってしまったらしい? 今回、マリアは出演していない。

第9話 マリアちゃん!がんばる!

009_1(別冊少年チャンピオン 1973年12月号)

 夜。ベッドで眠っていたマリアは地震で目がさめる。屋外へ避難してどうにか無事だったが、教会は完全に崩れてしまった。吸血鬼ちゃんとコウモリは、涙するマリアを励まし、教会の再建を助けることにした。実は完成のあかつきに、その地下室へ住みつこうという計画である。しかし再建のための資金はいったい、どうやって稼いだものだろうか……?

*この回で初めて「コウモリちゃん」という相棒の名前(?)が、マリアによって呼ばれている。この年に小松左京のSF小説『日本沈没』が大流行したため、(地震による)「倒壊」などの表記をせず「沈没」としているものと思われる。マリアが歌っているのはカルメン・マキ『時には母のない子のように』(1969)の替え歌だろう。北千住(きたせんじゅ)とは東京都足立区に実在する区域の通称。『ちょっとだけよ』というのはドリフターズの加藤茶がコントでやっていたストリップの真似のことで、当時やたら大ヒットしていた。『ジーザス・クライスト・スーパースター』(Jesus Christ Superstar)というロックオペラ(1971)をもじったらしい看板が出てくる。

第10話 旧友再会

010_1(別冊少年チャンピオン 1974年1月号)

 吸血鬼ちゃんとコウモリが空を飛んでいると、雪が降り始めた。「宿無し吸血鬼はつらいねー」と嘆いていたら、地上に見覚えのある顔が。それは旧友の「バケガラス」だった。他にも昔の仲間が集まっているという。久しぶりに会ってみて「しかしみんな幸せうすい運命みたいだなー」と吸血鬼ちゃんが言うと、「どうだいみんなで協力して 幸せそうな人間どもを襲うとゆーアイディアは」とコウモリが提案する……。

*魔物(?)たちのキャラクターデザインが独創的で、見ているだけでも楽しい。日本酒のCMや、『イナズマン』(TV版は1973~1974年に放送)のパロディと思われるくだりがある。しかし何と言っても凄いのは終盤で、或るとんでもないキャラクターが特別出演している!?

第11話 晴れ着ドロボーに気をつけろ

011_1(別冊少年チャンピオン 1974年2月号)

 正月。マリアちゃんも晴れ着で装い、浮かれている。そこへ下半身モロ出しのあからさまにイカれた男が出現、マリアちゃんを裸にむいて晴れ着を盗んでいってしまった。やがて次の犠牲者が出、吸血鬼ちゃんたちはチカンをつかまえようとする(?)のだが。

*コウモリちゃんの台詞に「それ以上やると吾妻ひでおと同じになってしまう」というのがある。僕の記憶が正しければここは連載時、「それ以上やると本誌の『ふたりと5人』と同じになってしまう」という台詞になっていた。実際今回は『ふたりと5人』に負けず劣らずの正統エッチまんが(?)な内容になっており、笑える。チカンの"はらがけ"の柄が最後のページで突然(こっそり?)変わっているも、理由は不明。当時の僕はこれが何を表す"記号"なのか知らなかった(本当に)のだが、全国の少年読者たちに意味が通じたろうか?

第12話 春や春!

012_1(別冊少年チャンピオン 1974年3月号)

 春のきざしが見えてきたものの、吸血鬼ちゃんは気分がすぐれない。「今年もモテないのかなー」と嘆くうち、とうとうヤケクソ状態になり、「マリアちゃんを襲うぞー」と飛び出した。しかしマリアちゃんのいる教会へ、さらに1人の男がやって来る。ハンサムな彼は、世界をめぐって吸血鬼を追っている吸血鬼ハンターだった。あやうし吸血鬼ちゃん!

*これが最終回。敵との正面対決を通じて、主人公の不屈な活躍(?)が示される。「著作権侵害!?」とコメントが添えられた敵は、どう見ても石森章太郎キャラ(『サイボーグ009』)のパロディだ。
 吾妻ひでおは学生時代に石森章太郎の著作である『マンガ家入門』を読んで感動し、プロのマンガ家になる決心をしたと聞く。その言わば恩師である石森の代表作を模した人物が「敵」として登場しているとは、はて? ……もしかすると吾妻ひでおはここで、「俺にはやはり石森先生のようなマンガを描くことはどうしてもできない」という自己を再確認していたのかも知れない(?)。
 石森マンガはさまざまな正義の味方を主人公にしており、幾つもの作品がヒットしTV化もされ、メジャーな少年マンガのお手本のような作風だ。が、これに対して吾妻マンガはそのまったく逆をむしろ目指しているような色彩があるように思われる。吾妻マンガで主役の座を与えられるのはほぼ常に、かっこいい正義の味方ではなくてその反対の立場の者たちなのだ。弱い者や脚光を浴びることの無い者たちにむしろ愛を持つ自分の作風は、悲しいかな石森マンガと正反対らしい……この最終回は吾妻ひでおのそうした自己認識が反映されているように、僕には見える。
 また、この最終回のトビラが奇妙だ。吸血鬼ちゃんは十字架(!)を背負い、斜面を登っている。意図的に寓意を込めてこれが描かれたかどうか分からないが興味深い。
 これはキリスト伝のクライマックス、イエスが処刑されるためゴルゴタの丘へ向うくだりのパロディだろう。イエスは当時の権力であるローマ帝国からも当時の世間であるユダヤ社会からも退けられた「はみ出し者」だった。そういう彼が自分の使命を全うするべく最後の舞台へ向う残酷でつらい場面を、吸血鬼ちゃんは模している。にもかかわらず、彼の表情に苦悩は見られずむしろ嬉々としているようだ。なぜ……? あるいは彼、吸血鬼ちゃんの胸中は、自分のあるがままを貫き通した誇りと達成感で満たされているのかも知れない。まだこれから苦しい坂道を登り続ける事になっても、あえてそれを受け入れるべく選んだ自分とその生き方に後悔は無いのかも知れない。
 『吸血鬼ちゃん』の主人公は、作者自画像キャラクターである「アーさん」殆どそのままだ。が、実はその内面も、吾妻ひでおの自画像になっていたのでは……と、僕はこの最終回を読んで思ったのだけれど、どうだろう。
 (単行本『吸血鬼ちゃん』(奇想天外社・奇想天外コミックス 1979年8月15日初版)は、ここで終わっている。)

はじめに

(注:この作品の題名は単行本の表紙画像にあるとおり、「魔ジョニア」と「いぶ」の間に本当はハートが入っているのですが、このハート記号は通常パソコンでは用いられない"外字"になるようなので、このブログにおいては省略し、『魔ジョニアいぶ』と表記しています。)
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 .................................................................................................................................................................................................『魔ジョニアいぶ』(1983年5月~1984年6月)は、日本のTVアニメで定番ジャンルのひとつになっている"魔法少女もの"を、成人男性向けに脚色したような作品だ。単行本の表紙には"MAJYONIA EVE"と併記されているが、これは「魔女」と「ジュニア(junior)」を合成した造語ではないかと思われる(?)。
 この作品の構想がどのようにしてまとまったかについては、単行本の作者あとがき(『反省日記』)に少し言及があるが、詳細は定かでない。1980年代初頭は、児童向け番組として制作されたはずのアニメ("魔女っ娘(こ)もの"もその1つ)に二十歳前後の若者たちが熱中するといった現象が顕著になってきた時期のようで、そうした世相が構想に影響を与えた可能性はけだし考えられるだろう。身体的には既に成人している者達が精神面ではまだ子供を脱しきれていないというアンバランスな状況を見聞きして、もしかすると作者たる吾妻ひでおは、やがてそうした娯楽に「ひずみ」が発生するだろうと未来予測したのかも知れない。すなわち、彼ら成人の観客はやがて、より明確に「性」を欲するまでになるのではないだろうか、と。
100c もしそうであったなら、それはある程度的中したと言えるように思われる。例えば、かつてアダルトアニメの代名詞のようになるほどヒットしてシリーズ化した『くりいむレモン』などは、奇(く)しくもこの『魔ジョニアいぶ』が連載終了した数ヵ月後、1984年8月にその最初の作品が発売されているからだ。市場には確かにそうしたアニメの需要があり、出現を顧客が歓迎する舞台は整っていたのである。
 とはいえ、『魔ジョニアいぶ』のヒロインはれっきとした成人で、そこにいわゆるロリータ趣味は特に見られない。また、さかのぼって調べれば吾妻ひでおが青年誌のための作品でセックスを扱うのは『魔ジョニアいぶ』が最初ではなく、『アニマル・カンパニー』(1973年10月~1974年6月)で既に見られる。ただし、「魔法」という、おとぎ話ふうの題材を青年誌のための連載作品で扱うのはたぶんこの『魔ジョニアいぶ』が最初であって、この点には間違いなく時代の反映が見て取れるように思う。そしてこうした、「大人の身体に子供の心」を持った読者を想定したかと考えられる作品がこの時期に複数執筆されている。『ときめきアリス』(1984年5月~1985年5月)や『幕の内デスマッチ!!』(1984年9月~1985年5月)などがそれだ。
 発表時期で『魔ジョニアいぶ』はこれらの作品に先行しており、作者にとって実験的な試みだったかも知れない。

第1話 今晩は!魔女です

101_2(プレイコミック 1983年5月12日号)

 夜の公園で女を口説き落とそうとしたら、彼女には奇怪な好みがあると分かった。男が慌てて逃げ出し「おれは女運が悪い! 女なんて金輪際くどかんぞ!」と毒づきつつ見慣れないビルのバーへ逃げ込んだら、そこには美女たちが待っていた。「おおー かーいいのが三人も!」と男は喜んだのだったが……?

*ヒロインの「いぶ」のみ、今回は名前が明らかにされている。ドレスなどの衣服はレースやリボン、フリルまでかなり細かく描き込まれており、ちょっと吾妻マンガらしからぬ第一印象があるかも。単行本あとがき(『反省日記』)によればこのシリーズは作者にとってやや畑違いな領域への挑戦であったようで(?)、こうした絵柄は、意欲的な試みの結果だったのかも知れない。
 この作品にバトンタッチする直前まで連載されていた『スクラップ学園』(プレイコミック1980年1月24日号~1983年4月28日号)の主人公ミャアちゃん(猫山美亜)は現役学生だったため、その内容は「不明朗学園ギャグ」(秋田トップコミックス版『天真爛漫編』の表紙などにある文言)だったのだが、こちらではヒロインが成人しているゆえか、題材としてセックスがはっきり前面に出ている。『スクラップ学園』に惚れ込んでいた読者はこうした変化に戸惑ったかも知れない。一方、青年誌の連載作品としてはより多くの読者に歓迎されるエンタテインメントとなったろうか。

第2話 空飛ぶベッド

102_2(プレイコミック 1983年5月26日号)

 抱かれてはみたものの、いぶはひどく痛がって、完遂できない。いぶの「おばあさま」(と言っても中年にさえ見えない若々しい容姿なのだが)は、「困ったわね……男一万人はこなさないと大魔女にはなれないってのに……」と嘆き、「しかたがない……おばあさまが見本を示してあげるからよーくごらん!」と言って服を脱ぎ始め……。

*この後いぶの「おかあさま」(やはりひどく若い!)までが「見てらっしゃい いぶ」と服を脱いでお手本を見せるという凄い展開になる。男(まだ名前が出てこない)は狂喜するが……。「男一万人」うんぬんに作者が寓意をこめているかどうかは分からないけれど、それだけの人数を相手にしたら、そりゃあ「魔女」になってしまうでしょうな……。いや、真面目に考えるとしても、男という生き物の正体みたいなものを知る経験をした後だと、女性は現実世界の半分の要素を突然見通せるようになり、大きな変化を遂げるという事はあるのかも。
 登場初期、いぶは性的に興奮すると無意識のうちに魔法を発動してしまったり変身したりするという弱点(?)を持っているのだが、こうした特徴はその後、体験が増えてゆくにつれ自己制御が可能になってくるようだ。性的に興奮すると変身(翼や尻尾が徐々に生えてきてしまう)というのは、映像化したらかなりインパクトのある光景になるのではという気がする……などというのは特撮馬鹿の意見であろうか。

第3話 これが噂のサラリーマン

103_2(プレイコミック 1983年6月9日号)

 「いぶにふさわしい立派な男をたくさんあてがって ちゃんとした魔法を使えるようにする」ことを命ぜられ、「そしたらお前の姿ももとに戻してあげるわ」と言われた男。とにかく出社し事情を説明するが、クビになってしまった。あまつさえオフィスに顔を出したいぶは無意識のうちに魔法を使い……。

*"使い魔"として、コーモリとカエルを合成したような姿に変身させられてしまった男の名前が「鬼山」であると今回初めて明らかにされる。しかし、いぶは彼を「コーモリガエルちゃん」と呼んでおり、こちらが名前代わりとなってしまうのだった。
 後半ではエロティックかつ無茶苦茶な(現実離れした)光景が展開。もし映像化したら、強烈な幻想を観客は目の当たりにすることになりそうだ。この「映画にしたら凄いだろうなあ」と感じさせる点は、本シリーズの特徴のひとつではないかと思う。いかんせん静止画像であるコミックで読んでいると、変身や変形のプロセスを目撃する驚きはどうしても弱くなるようで残念。
103b(このあと、『病気で休載の時のおわび』という鉛筆描きイラストが1葉収録されている。)

第4話 つつめ!ギョーザの皮

104_2(プレイコミック 1983年7月14日号)

 魔法を使い、ギョーザの皮で納豆を包むことに成功する、いぶ。しかしまだ処女なので魔力の進歩はいまひとつ。「この店にいたのでは おばあさまとおかあさまに男全部横取りされてしまう」と悩んだいぶは「あたし自分で男を探してみる!」と決意。独りホウキに乗って夜の盛り場へと出てゆくのだったが。

*「(『やけくそ天使』の主人公である)阿素湖素子なのではないか?」と思われる女性キャラクターがちょこっと出演。ただし連載当時に相棒的な役どころだった進也の登場は無い。結末で、珍妙な伏線があったことに気付かされる。

第5話 神の試練

105_1(プレイコミック 1983年7月28日号)

 朝食の用意にさえ失敗ばかりしている、不器用な、いぶ。おばあさまとおかあさまは「育て方が悪かった」とケンカを始めてしまう。いぶはそれを悲しみ「あたしここを出て一人で生活してみる!」と決意。コーモリガエルの心配をよそに、自立をめざす……。

*今回からごくわずかづつ、いぶは自分の望む時に魔法を使ったり、変身したりできるようになってくる。とはいえ、呪文を暗記してそれを詠唱するとかといった、"魔法"というと定番であろう段取りの描写は無い。吾妻マンガにおける"魔法"というものは、一種の超能力の延長または変種といった扱いになっているのだろうか? 『オリンポスのポロン』が1コマだけちらっと出演。

第6話 ユニークな人材でーす

106_1(プレイコミック 1983年8月11日号)

 何をするにもお金が必要な人間界。「いぶの魔法はアテにならん やっぱ働くしかないなー」とコーモリガエルに言われ、会社で働くことにした、いぶ。いきなり高層ビルの窓から会社へ飛び込んで、就職しようとするのだが……?

*いぶは髪を少し短くしたようだ。また、右の耳に(?)空飛ぶホウキを縮小してしまい込み、所持しているらしい事の分かるコマがある。この回ではいぶの履歴書(?)が出てくるが、以下のような文面になっている。
1892 魔女小学校卒業
1895 魔女中学校卒業
1898 魔女高校卒業
1902 魔女大学卒業
 ここにある数字が普通の西暦であり、劇中の時間が読者のそれ(1983年)に合致していたとすれば、この時点で、いぶの大学卒業から81年間、小学校卒業からは91年間が過ぎている事になる。また第1話でいぶのおかあさまが「(セックスは)百五十年ぶり」だと語る台詞があるので、もしそれによって彼女がいぶを懐妊したのだとすれば、いぶの年齢はこの時およそ149歳くらいかそれ以上と考えられる(!?)。

第7話 スーパーお茶くみ

107_1(プレイコミック 1983年8月25日号)

 入社を許されたいぶだったが、何をしたらいいのか分からない。とりあえず営業部で雑用をすることになった。全員が忙しく走り回っているその部署でいぶが最初にやらされたのは、お茶を入れることだったのだが。

*もとサラリーマンのコーモリガエルは経験を生かしていぶに教えてやる形となる。いぶの会社員生活が始まると同時に、相棒としての彼にも活躍の舞台が整ったようだ。部長の台詞のわきにある「ともよ」の書き込みは原田知世を指しているらしい(彼女はこの年の夏にミュージカル『あしながおじさん』で主演をこなした)。

第8話 宿無し魔女

108_1(プレイコミック 1983年9月8日号)

 マンションの軒下へ無断で住み着いていた、いぶ達。だがとうとう追い出されてしまい、住めそうな場所を探す。空を飛び彷徨(さまよ)って、ついには海岸にまで来てしまった。「ま いいや ちょっとひと泳ぎ」と海へ入るいぶだったが、大波を被っておぼれそうになり……。

*久しぶりにエロティックな場面もある回なのだが、見とれるより先に笑ってしまうかも? 登場しているクラゲはその模様からして水海月(みずくらげ)か。

第9話 社内恋愛ゲコ

109_1(プレイコミック 1983年9月22日号)

 昼休み。オフィスではいぶが自分の机でお弁当をひろげる。しかしその中味はなんと、カエルが一匹まるごと入っているだけ。「いま時カエルめしなんて……」と、ひとりの男子社員は驚き、いぶに昼食をおごってやることにしたが。

*群衆に紛れ込んで「ナハハ」の出演しているコマがある。

第10話 給料日シンドローム

110_1(プレイコミック 1983年10月13日号)

 いぶは初めて給料を受け取り「これで魔法を使わなくとも好きなものが買える」と大喜び。が「面白いわ買い物って!」と暴走を始め、とうとう給料を使い果たしてしまった。一体どうすれば良いのやら、困ったいぶは……。

*一見全くそういう展開にはなりそうもない所から物語が始まり、ついに今回いぶはセックスを初めて完遂する(トビラに奇異な架空植物が描かれているのはその伏線らしい?)。相手となったのは意外にも……!?
 いぶが自分の鼻をつまんで魔法を使うポーズは、アメリカ製TVドラマ『奥様は魔女』("Bewitched" 1964年)で、主人公たちの幼い娘であるタバサ(Tabitha)が母親の真似をして魔法を使うときのそれのパロディではないかと思われる。

第11話 今日も明日も無礼講

111_1(プレイコミック 1983年10月27日号)

 きょうは社員慰安大運動会。賞品はかなり豪華だ。いぶはそれが目当てで頑張るものの、「まともじゃ勝てない」と気付き、魔法を使うのだったが。

*のっけから「本気で無礼講すると北海道支店が待ってる」など、日本社会に特有の、本音と建前の不一致を皮肉っているのが苦笑を誘う。こうした「形式」と「実情」が合ってないことへの風刺は、運動会のはずが休憩時間になると社員達がこぞって別のことに熱中しだす……という展開に繋がっているように感ぜられる。
 性的に興奮すると無意識のうちに魔法を使ってしまうといういぶの弱点はまだ直っていないらしい(結末の騒動は、そのゆえに引き起こされたのだろう)。「ナハハ」が1コマ出演。

第12話 漂流OLコーモリガエル付き

112_1(プレイコミック 1983年11月10日号)

 アパートの一室に一人の青年がいる。「はぁあ 女欲しい……この際どんなんでもやれさえすれば文句いわない 下半身イモ虫の堀ちえみはこまるけど 堀ちえみは好きだけどイモ虫きらいだから」欲求不満が臨界点に達しているのかとうとうワケの分からない事を言い始めた彼の部屋に、奇妙なツボが空中を漂って入ってきた。おそるおそるそのフタを開けてみると中から、いぶが出現して……。

『幕の内デスマッチ!!』(1984年~)の主人公、駅野弁太郎に良く似た若者が登場。徹底的に情けない彼のありさまはしかし、男性読者たちから親近感を持たれ、受け入れられそうに思える。が、このシリーズでの出演はこの1回のみ。情けなさも極めれば「主役」の資格にまで至る道が開けるという好例!?

第13話 ガラスのシッポ

113_1(プレイコミック 1983年11月24日号)

 オフィス内を背中の翼で飛び、上司へ書類を提出する、いぶ。しかしそれには計算ミスがあったため叱られてしまう。その上司、高田が意地悪なのに腹を立て、いぶは魔法で復讐を試みるが……。

*この回で、いぶは何と結婚する!
 アメリカTVドラマ『奥様は魔女』のパロディがあるようだ。

第14話 愛人クラッシュ

114_1(プレイコミック 1983年12月8日号)

 街頭で娘たちに声をかけ、アンケートを頼む1人の男。が、実は愛人バンクのスカウトをしているのだった。そこへ極楽トンボそのものといった様子のいぶが通りかかる。かくていぶは愛人バンクに登録されて……。

*この頃『夕暮れ族』といった流行語ができ、愛人稼業(?)を堂々と商売にする者も現れたため、そうした世相の反映か。終盤、欄外に手書きで「筒井さんです」という書き込みがあり、もしかすると筒井康隆作品のパロディになっているのかも知れない。
 眉のつながった男(蛭児神建がモデルだという)の台詞に「いいんじゃないの」とあるのは、既に書いたとおり吾妻先生の口癖の一つだったようです?

第15話 すきやきの友

115_1(プレイコミック 1983年12月22日号)

 今年も間もなく終りということで、いぶは同僚たちから飲み会に誘われ、参加する。しかしいぶはこうした集まりの経験が無いのか無茶苦茶な行動を取り、そのうえ魔法を使ったか料理までワケの分からない物に変えてしまう。同僚たちから総すかんをくったいぶは、何とかしようと周囲の客たちに声をかけるが……。

*3回連続してエロティックな場面は無きに等しい(また相棒であるコーモリガエルは登場しない)話が続く。ここで力を入れて描かれているのはそうしたサービスではなく、現実離れした不条理な光景だ。1960年代に流行した忍者マンガのパロディなどもからみ、奇妙奇天烈な幻想が読者の眼前に展開する。

第16話 リアリズムでない宿

116_1(プレイコミック 1984年1月12日号)

 スキーリフトも遠景に見える、北国のほろほろ駅。いぶはその駅前で「旅館いぶ」と書かれた提灯を持ち、客引きをしている。「さんびすしますから!」(「サービス」がなまっているらしい)と客を1人確保したのだが、着いてみればその旅館と言うのは雪で作った「かまくら」で……。

*コーモリガエルが再び登場。舞台になっている「ほろほろ」は、作者の故郷である北海道十勝郡浦幌町のパロディか。いぶは自分の望む時に翼と尻尾を伸ばす事ができるようになったらしく、その不可思議な魅力のある裸像を今回おがませてくれている。彼女の読んでいる『夜行』は北冬書房が発行していた前衛的なコミック雑誌で実在し、この頃つげ義春らが執筆していたようだ。
 ところで、北海道十勝郡浦幌町はりっぱな観光地であるようだ。そうであれば、全ての土産物売り場には名産品として、吾妻マンガの単行本を置くべきである!?

第17話 空飛ぶスキー

117_1(プレイコミック 1984年1月26日号)

 いぶはスキー場で男をひっかけようとたくらむ。貸しスキーの店へ入ってみると、「秘蔵の一品」として「空飛ぶスキー」なるものが置いてあった。今まで乗りこなせた人はいないというのだが、「飛ぶのは なれてるから」と、いぶはそれを借りて……。

*無茶苦茶な話のようだが、実はこうだった、というきわめて明快な種明かし(オチ)がついている。

第18話 東京魔女のグルマン

118_1(プレイコミック 1984年2月9日号)

 世間は節分で大騒ぎ。とはいえそのありさまは混沌(こんとん)そのもの。鬼がこれを利用し金儲けしているのを見たいぶは「鬼も二本足 魔女も二本足」と、新商売をさっそく開始するのだったが……? 

*サブタイトルにある『グルマン』は、日本で発行されている、フランス料理店のガイドブック名(グルマンとは仏語で「大食漢」の意だそうだ)。男の台詞にある『メートルドテル』とは「執事長」の意で、給仕をしてくれるプロの人をさすらしい。今回なぜか料理にひっかけた部分がある。
(注:以下、結末に言及しています)
 節分の豆まきは日本人の誰もが知っている年中行事だろう。多くの場合、鬼(によって象徴される災厄)を追い出し、福がやって来るよう準備をする。が、この儀式には不可解な欠如がある。「鬼」は目に見える姿を持っているが、入れかわりでやって来る「福」とは、いったいどんなものなのか……? 目に見えるものはそこに何も無く、人々の空想にゆだねられているのだ。
 作者は、この空白を突いているように思える。
 人々が鬼退治に熱中し、はては性にからんだ娯楽イベントにしてしまっていたりするのに目をつけたヒロインが「ようするに人々は悪者退治ごっこをしたいのだろう」と読み、自分を用いてそれを行なわせ民衆を満足させる。ところが事はエスカレートしてあらゆる妖怪たちまでが加わり「劇団」と化す(ここで英語圏の年中行事「ハロウィン」までがまざり込み、娯楽として商業主義へ暴走した「節分」は、もはや本来の意味さえ失ってわけの分からない馬鹿騒ぎとなってしまう)。収拾のつかなくなった状況にすっかりまいってしまった男(作者の自画像)は助けを求める。彼が最終的に望み求めているのは、鬼たち(災厄)がやって来る事ではなくて、その後に訪れるはずの「福」が姿を見せる事なのだ。そして、ついに「福」は来てくれる。が、七福神と名乗っているのに来たのは3名のみで(つまりこの「福」は不完全なものだ)、おまけに彼らのすることは巨大化(?)してビルをぶっ壊すだけ(いい加減な大衆のでっちあげた「節分」騒ぎへひとまとめに制裁を加え、除去して浄化しようというのであろうか)。本当の「福」を招くことができなかったと感じ落胆した男は、娘に謝る。それでも彼女が笑顔を見せてくれるのが救いだ。もしかすると「福」は、純真な愛娘の笑顔のなかにこそあったのかも知れない。

第19話 ウサギのうんちはマコロン

119_1(プレイコミック 1984年2月23日号)

 雪が降り出し、しかも大雪となってきた。いぶの会社でも全員早退を許される。いぶがホーキに乗って帰ろうとすると、同僚である女子社員は「電車が止まっちゃったの! 乗せてって!」と頼む。しかし彼女がうまく乗れないので……。

*いぶはトビラでウサギのコスプレをしているが、『やどりぎくん』でも奥さんが良く似た格好でトビラを飾っている回がある(「スポーツで汗を!!の巻」)。いわゆるバニーガールの服が描かれないところが何とも個性的。北海道出身で本物のウサギをよく知っている(たぶん)作者にとってああした衣装は、ウサギのイメージに結びつかないのかも?

第20話 スローダンサー

120_1(プレイコミック 1984年3月8日号)

 いぶは電車に乗り、朝のラッシュにもまれる。やがて、これを解消しようと考え、乗客たちも自分も小人に縮小してしまうのだった。なるほど混雑はいっきになくなったが「どうしてくれるんだ! 俺は痴漢だぞ!」と苦情を言う男が出現し……。

*いぶが「方法論としての漫画にふと疑問を感じた」り、「必然性」と「エンタテインメント」の両立を問題にしたりしているのが苦笑を誘う。人間を1/8に縮小する話や、会社に行きたくない人を乗せる列車の話が、日本のTV特撮ドラマ『ウルトラQ』(1966年)にはあったけれど、作者がそれらを意識してこの回を執筆したかどうかは定かでない。ともあれ、映画化したらより面白そうな超現実的光景が、このシリーズにはやはり多いように思う。

第21話 魔界の花

121_1(プレイコミック 1984年3月22日号)

 春が来て、いぶは眠たい。「今頃 故郷の魔界じゃ花が咲きみだれて きれいだろうなー」と考え、「そうだわ 種があったんだ」と思い出す。さっそくオフィスに植木鉢を用意し、まいてみると……。

*今回、いぶの「お父さん」が登場! 手書き台詞にある「川崎ゆきお」は、『猟奇王』シリーズなどで有名な漫画家(公式であるらしいサイトが存在する)。

第22話 風の谷のいぶ

122_1(プレイコミック 1984年4月12日号)

 「わあ汚い なーにこれ」「桜だよ 人間界ではきれいなことになってるの」いぶとコーモリガエルが、桜並木を見て漫才のような会話をしている。いぶは納得がいかず「桜に聞いてみる」と言い出す。すると桜は……。

*人類とは違う世界からやって来た者は、人類とは美感覚も違っているはずではないか? という考察は、独創や個性を重んじる吾妻マンガにおいて時おり語られる主張であるようだ(ななこSOS『ACT.3 ネコの首風雲録』など)。サブタイトルで分かるとおりアニメ映画『風の谷のナウシカ』(1984年)のパロディが入っている。ラストで出てくる花は、NHKの児童向けTV番組『おかあさんといっしょ』の中で寸劇の締めくくりに登場していたキャラクターのパロディ。

第23話 健全社内TV

123(プレイコミック 1984年4月26日号)

 社内TVの取材班にまわされた、いぶ。ビデオカメラを持って撮影していると、男子新入社員たちが紹介されるのに出くわした。いぶは早速取材を始めるのだったが。

*(注:以下、結末に言及している部分があります。)
 筒井康隆の作品(『死に方』?)パロディを描いたくだりがある。結末のほうでは、いぶが"正義の変身ヒロイン"みたいな活躍を見せているのだが、なぜこういった設定がこのシリーズでは正面きって採用されなかったかが、おぼろげに分かる(?)。水木しげる原作のTVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(1968年版の第1シリーズのエンディングテーマ)パロディがあるのだが、こうした「毒をもって毒を制す」式のダークな英雄像は複数発表されてあまりにも有名になっており、この当時すでに斬新で独創的な設定とは言えなくなってきていたものと思われる(?)。

第24話 おでんの夜

124(プレイコミック 1984年5月10日号)

 ホーキに乗ったいぶとコーモリガエルは夜の散策中、公園におでんの屋台を発見する。しかしそこは「具は売ってない」という奇妙なところだった。おまけに訪れる客がこれまた変な人ばかり。呆れ果てたいぶだったが、ふと気付くとその公園には……。

*「三ツ股チ○ポコ」なるものが出てくるが、それほど現実離れしたものでもないらしい(物語に直接関係は無いけれど)。フクロモモンガ(Sugar glider)には普通に2本付いているようだし、ハリモグラ(Echidna)は1本の軸に4つの頭部があるそれを持っている。こういったTwo-Headed Penises や Four-Headed Penises については、検索すれば海外サイトなら画像が発見できるかも知れない。オポッサムは性器のこうした形状ゆえに、メスの鼻へ射精するという迷信がアメリカでは生まれたのだとか。作者がこうしたことをヒントにしたのかどうかは定かでないが……。

第25話 ミス本番銀行強盗

125(プレイコミック 1984年5月24日号)

 いぶが給料を引き出しに銀行へゆくと、そこに強盗が来た! だが女子行員の対応は落ち着いたものであっさりこれを撃退する。さらに驚いたことに銀行は、防犯カメラに記録されたその映像を予約販売しているのだったが……。 

*監視用ビデオカメラというものはモノクロTV放送よりも以前から実用化されていたらしいのだが、防犯用としてそこいら中に普及し設置され始めたのはこの頃からだったのかも知れない。ここでは、それによる映像が娯楽作品のように扱われてしまっている(これが作者の"未来予測"だったとすれば、そういうTV番組などは今日時おり本当に放送されているのだから、ある程度的中したと言いうるのではあるまいか?)のだが、見世物を欲する観客と映像の送り手とが織り成す狂態は、僕らの社会のあさはかさに対する風刺であろうか。

第26話 魔女の夜 魔女の朝

126(プレイコミック 1984年6月14日号)

 社長と部長が高級クラブへ入ってみると、「新しい子」として紹介されたのが、いぶだった。「こまるね こんなバイトされちゃあ」と慌てる彼らに「男性社員のほとんどとはヤリつくしたし 新しい男ひっかけるのは こーゆーのが一番」なのだと答える、いぶ。彼女は焼酎に自分の唾液を混ぜて「特製いぶチュウハイ」とし社長に飲ませる。すると不思議な事に……。

*これが最終回。いぶは企業人としても魔女としても成功し、人間界を去って行く。それにしても性病にかからないのか心配になる。が、第2話でいぶのおばあさまは「三千年ぶりの男」といった台詞を口にしているので、こうした点から推理すると彼女たちは性病どころかあらゆる病原菌に耐性を持ち、不老不死なのかも知れない。やはり普通の人間がいぶのマネをするのは無理でせう。
127 単行本の巻末にあとがきとして収録されている『反省日記』によれば、作者にとって本シリーズは不本意な出来であったらしい。そもそも企画段階からして吾妻マンガの個性には馴染まない要素が根底に含まれていたようなのだ。エロティックなコメディとして連載開始したはずが、やがて不条理ギャグになったり筒井康隆のパロディになったりして、作品の基調に変動があるのは、作者のそうした苦悩のあとであろうか。とはいえ、ちょっと無理して執筆したという事は、このシリーズが吾妻マンガ全体の中で「異色」なものになったという成果につながっている。
 俗物読者として無責任な希望を言えば、いぶの色っぽい変身をもっと見たかった。人物像としては、1人の男を愛してしまい、魔女として成長するため1万人を相手にせねばならないディレンマに苦悩する、といったエピソードがあっても良かったかな、などと……。しかしそういう方向で充実するとありきたりなお色気コミックになってしまい、吾妻マンガならではの個性は失われていたのだろう。やはりあくまでも吾妻流の大人向け魔女っ娘マンガでなくては。それがこの『魔ジョニア いぶ』なのだと思う。

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