カテゴリー「23 みだれモコ/パラレル狂室」の記事

2007年5月14日 (月)

はじめに

 このカテゴリでは、『失踪日記』で言及されているものの現在のところ絶版となっている作品群から2つ選んで、『みだれモコ』と『パラレル狂室』をご紹介したい。
 今日は、前者についてちょっと。
000 『みだれモコ』は作者の弁によれば「ドキドキしながら描」き、「奇妙な味」をねらって楽しく執筆したのだったが、「人気無くて6回で終わる」結果になったという作品だ(『失踪日記』p.140。なお、第1話を含めて合算すると『みだれモコ』は全7話になる)。意欲的な実験は残念ながら少年読者層の支持を得られなかったようである(週刊少年チャンピオン1976年10月18日号~11月29日号に連載)。
 とはいえ、今になって振り返ると、『みだれモコ』で読者の眼前に次々と展開された「あり得べからざる奇妙な出来事」という要素は、この後さらに強化され、"不条理ギャグ"という独特な様式を結晶するに至ったのでは、と思える。『みだれモコ』の不可思議な種子は当時の少年誌という土壌にこそ馴染まなかったかも知れないが、青年誌においては受け入れられ、開花成長することができたようだ。
 単行本は雑誌連載時の版元である秋田書店ではなく、双葉社から刊行された(パワァ・コミックス 1977年9月25日初版)。ここでは復刻版のほうをテキストに用いたい(双葉社 100てんランドコミックス 1982年5月5日初版、内容は同じ)。
 この復刻版のカバー(画像参照)を飾っているヒロイン・モコは、連載時の姿に比べてみると髪にだいぶボリュームが増し、まるで別人のように見える。けど、とっても可愛いので全く異議はない(←私情まるだし)。
(注:以下、単なる思い出です)
Moko_pc 最初の単行本(パワァ・コミックス、画像はそのカバー)では話と話のつなぎにあるページで、原稿から複写したものに素人が加筆した(?)のではと思える絵が"埋草(うめくさ)"にされており、しかも同じカットが繰り返し数回使われていたりするものだから、あまり見栄えの良い書籍ではありませんでした。当時アシスタントだった沖由佳雄さんがこれに苦い顔をされ「カット描いてくれって(吾妻先生に)依頼してくればいいのにねえ」と残念がっていたのを覚えています。この問題は復刻版のほうでは改善されており、カバーイラストのみならずカットも数葉が描き下ろされ、収録されているのがうれしいところ。いちだんと可愛くなった"1982年版"モコの肖像は、吾妻ファンにとって予想外のボーナスになっています。何が後日に幸いするか分からない事の好例と言えましょうか。

2007年5月15日 (火)

ピンク・パンチの巻

001_3(少年チャンピオン 1976年10月18日号)

 たいくつでアクビをしている(試験の真っ最中だというのに!)女学生が1人。教師は彼女の答案が白紙なのを見、「とにかく努力だけでもしてみろ」と叱る。ところが彼女・モコは、テスト用紙を紙ヒコーキに折って飛ばし、「もう試験やらないですむわ」と、喜んで帰宅してしまった。結局、紙ヒコーキを捜すことにはしたものの、やっと発見したそれは"変化"しており……。

*初登場のしかたからしてスゴイ。ヒロインの小悪魔ぶりに教師は振り回されひどい目に遭うが、男としては彼にちょっと同情も感じる。もしかすると少年読者達は、モコのこうした性格に笑わされるよりも先に「性格の悪い少女」という印象を懐き、敬遠してしまったのだろうか。
 ヒロインの人物描写にも度肝を抜かれるが、物語の特徴は後半でより鮮明になり、ユニークな幻想が描かれている。
 モコの台詞に「かいか~~ん」とあるのは映画『セーラー服と機関銃』(薬師丸ひろ子が主演のバージョン)のパロディかと思ったが、その封切は1981年12月だったようだ。最初の単行本(1977年 パワァ コミックス版)でもこの台詞になっており、特に関係は無いものと思われる。
 ヒロインがなぜ「モコ」という名前になったのかは不明だが、ラジオの『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』という番組でレギュラー出演(1968~1971年)していた人気者に『モコ・ビーバー・オリーブ』という女性3人組がいる。その1人、高橋基子の愛称がモコであったようで、ひょっとするとそこに由来があるのだろうか?

2007年5月16日 (水)

きまぐれモコの巻

002_3(少年チャンピオン 1976年10月25日号)

 「モコちゃんいますか」と玄関に現れたのは、2本足で立って歩き人間語を話すネコだった。母親はびっくりするがモコは平然として「ボーイフレンドなの」と返事、ネコの住処(すみか)へ遊びに行く。そこには「こないだ土の中からほり出した」という変な生物(?)がいた。モコはそれを面白がって自宅に連れ帰る。母親は再び驚き呆れるのだったが、それは礼儀正しく自己紹介するのだった、「は はじめまして ぼく 悪魔です」……。

002b*これでもかとばかりに奇妙な光景が次から次へと展開してゆく。が、それでいながら登場する全てのキャラクターはその存在にちゃんと役割があって、全く無駄はない。クライマックスの後の逆転に加え、さらにまた逆転がある構成は正攻法だが良く計算されていると思う。お父さんの台詞にある「パタパタママ」は、幼児向けTV番組「ひらけ!ポンキッキ」で放送されていた歌。モコの住んでいるのはどこかの二丁目(あるいはその近所)なのではないか、と思わせる台詞がある。

2007年5月17日 (木)

そんなに急いでどこへ行くの巻

003_3(少年チャンピオン 1976年11月1日号)

 1台のバスが街を走る。が、その運転のひどいこと、おまけに不衛生。やがてバス停に到着し、乗客である学生達はみんな降りてゆく。しかしただ1人、モコは車内に残っていた。運転手が不思議がってたずねたら「今日は気分乗らないからサボッちゃうのよ」と煙草をふかすモコ。おまけに彼女はそこで着替えを始めた。それに見とれた運転手は事故を連発してしまい、とうとうモコに文句を言うのだが。

003b*現実を次々と否定していったあげく、最後には……という、ちょっとスリラーな話。描写を重ねていってクライマックスに至る、一本道で山を登ってゆくような手法は、前回(『きまぐれモコの巻』)の物語とはまた違う構造だ。モコの肌着のサイズが「Aカップの85」だと自身で明かしている台詞がある。「ときどきは思い出す」というくだり、旧海軍の戦艦を題材にしたSF小説に似た部分があると聞いたことがあるので、もしかするとパロディなのかも知れない。

2007年5月18日 (金)

ステキよ先生!の巻

004_2(少年チャンピオン 1976年11月8日号)

 「また遅刻しちゃった 先生にしかられるなー」とモコが教室へ入ってみたら、誰もいない。そのあと先生が現れて、今日はマラソン大会だったとわかる。体育着を持ってこなかったモコに先生は自分のジャージの上着だけ貸してくれた。しかしそれによって太ももまであらわになったモコのなまめかしい姿を見せつけられた先生は……。

*とにかく先生が徹底的にかわいそうな回。モコの小悪魔ぶりが徹底的な回でもある。コワイもの見たさに訴えるような結末が読者にとどめをさしている!?

2007年5月19日 (土)

モコの催眠術の巻

005_2(少年チャンピオン 1976年11月15日号)

 布団に入っているものの、モコは眠れない。困り果てたあげく、自己催眠の本を読み、それを試すことにした。鏡に向かい、人に催眠術をかけるようにやってみたら見事に成功、モコは眠りにおちる。しかし翌朝目がさめてみると、モコ以外の全ての人が眠っていた。誰ひとり起きていない静かな世界で、ひとりぼっちになったモコは……。

005b*いったいどうやって解決し、この事態を元に戻すのだろう? という興味で、物語に引き込まれてゆく。ユニークな結末がちゃんと用意されていて、ニヤリとさせられる回。

2007年5月20日 (日)

秋はセンチメンタルの巻

006_2(少年チャンピオン 1976年11月22日号)

 「久留久留病院 精神科」の受付へ来たモコ。そこの院長は珍妙な男だったものの、とにかく診察が始まる。その次に現れた医師(?)も風変わりだったが、モコを診察して言う、「すっかり虫に食われてますよ 脳ミソが半分ぐらいやられてます」……!?

006b*頭痛の原因が実は……という、不思議な幻想が展開。この両親にしてこの娘(モコ)ありと言うべきか、今回はパパの選ぶ解決手段にびっくり仰天させられる。

2007年5月21日 (月)

花の超能力!!の巻

007_2(少年チャンピオン 1976年11月29日号)

 「モコちゃん 遅れるわよ」と起こされて学校へ向かうが、「とても間にあわないなー」と判断したモコは「車で行こう」と決める。しかし呼び止めたタクシーはアクシデントにみまわれて使うことができない。「近道して行けば」と思って歩き出したら、今度は道路工事で「通れないよ」と言われる。「とにかく急がなくちゃ」と前進するモコだったけれど……。

007b*これが最終回。このシリーズのヒロインであるモコにふさわしい壮大な(!?)結末となっている。
 ハッピーエンドなのかそうでないのか判断をつけがたい幕引きは全7話に共通しているようで、少年誌の連載作品としてはやや大人向きに過ぎたのだろうか。
 ちなみに、モコはこの後こっそりと『不条理日記』のトビラに出演している(?)。

2007年5月22日 (火)

プリンアラモードとパインロイヤルの巻

008_2(少年チャンピオン 1970年8月3日号)

 見渡す限り何もない荒野、その中にポツンと1軒、家がある。「純喫茶 A子」と看板に書かれたその店は「駅から24時間」という立地条件ゆえか客は1人も来ていない。経営者であるらしい若い娘が困っていると、どうしたわけか客は来た。しかし来客に感激している娘はその注文が聞こえず、あれやこれやと考えをめぐらすばかり。そこへ別の客がさらに2人。が、彼らは強盗だった……。

*『荒野の純喫茶』シリーズ第1話。現代日本にはまずあり得ないような景色(荒野)の中に、現実的でみみっちいもの(1軒きりの喫茶店)が置かれている。そのあまりにもかけ離れた組み合わせによって成り立っている、ひどく現実離れした舞台。かくて読者は最初から驚かされる。
 なにゆえ舞台が荒野なのかは分からない。物語に直接の関係が無いものは全て切り捨てた大胆な省略の結果なのか。騒々しい世間など所詮は存在意義の希薄なものでしかない、といった、若い作者の心にあった虚無感の反映なのか。
 トビラを飾っているヒロインの全身像は、後日の作者によって描かれる美少女たちとだいぶ趣を異にしている。たいそう細く長い手足は当時の少女マンガか外国のコミックを連想させる。この頃の作者は「かっこいい」美女を描くべく模索していたのだろうか。
 何にせよここには、作者の強い個性と独創性が新芽をふいているようだ。

2007年5月23日 (水)

LOVEの目的格の巻

009_2(少年チャンピオン 1970年8月10日号)

 英語の勉強中であるらしい男子学生が、「純喫茶 A子」へやって来た。経営者(?)である娘はパンツルックであぐらをかきスイカを食べていたが、ミニスカート姿に着替えて注文を受けに行く。すると学生は勉強に没頭していて、何となく危なげな雰囲気。加えてそこにもう一人、絶望しているらしい男が店へ駆け込んでくる。彼もまた、周囲の事は全く眼中に無い様子で……。

*『荒野の純喫茶』シリーズ第2話、そしてこれが最終回でもある。
(注:以下、作品と直接の関係はありません)
 1970年頃まで喫茶店は、学生が憧れるちょっとした「盛り場」だったらしい。なぜ「らしい」という伝聞推量かというと、70年代なかばに学生だった僕は、自分も周囲の友人達も、全くといってよいほど喫茶店というものを利用していなかったように思えるからなのだ。喫茶店という場所に対して独特の思いを懐くのはおもに、1960年代の後半に青春を送った人々なのではないだろうかという気が、僕はする。それが正しい認識かどうかは分からないのだけれど……。
 70年代に喫茶店と言うと、大人たちがちょっと入って短い雑談や打ち合わせに使う場所、といった位置づけだったようである。実際、未成年の者達だけで喫茶店に入っていると警察へ通報され補導されても仕方ないというのが本来の決まりごとであったらしい(常に厳密にこれが守られていたかどうかはともかく)。しかし禁じられるとかえって入りたくなり、大人の真似をしたがるのが十代というもの。かくて学生達は喫茶店へ行きたがった、という事のようだ。
 では、僕が学生時代に、喫茶店と殆ど何のかかわりも持たなかったのは、なぜか。理由はいくつかあった。まず、入ろうにもカネが無い(プラモデル1つ買ったらもうその月の小遣いは消滅していた)。コーヒーがうまいとは思えない(コーラなど清涼飲料のほうがよっぽどおいしいのに、大人ぶった見栄であんな苦いものなんか飲みたくはないと考えた)。そして、これがたぶん最大の理由なのだが、70年代のなかばにはハンバーガー屋が外食産業として出現しすでに普及し始めており(日本マクドナルドの第1号店は1971年7月にオープンしていた)、もし外で友人や女の子と話す必要がある場合には、(喫茶店ではなくて)ハンバーガー屋へ行けば済んだのである。しかもハンバーガー屋へ入るのには18禁だとかの掟は無いから誰からもお咎め無し。そして若者は、総じてとかく新しがりやだったのだ。70年代もなかばになると学生の溜まり場は、喫茶店からハンバーガー屋へと移行しつつあったのかも知れない。
 ただし、大学生となるとまた事情が微妙に違ってくる。大学生は学生とはいっても18歳以上の者が大部分であって望むなら喫茶店へも自由に行ける。そして今度は逆にハンバーガー屋へ入るのが子供っぽく思えてきて使わなくなったりしたかも知れない。この『荒野の純喫茶』に登場する客は大学生かも知れないし(第1話ではそれが台詞から分かる)、1970年頃なら大学生で学生服姿の人もけっこういたらしいのだ。
 吾妻マンガで「喫茶店」は、舞台としてしばしば登場する。それにどう反応するかは、読者によってかなり違ってくるのではという気がする。

2007年5月24日 (木)

湖のロマンスの巻

010_2(少年チャンピオン 1972年9月18日号)

 満月の夜、森のおくふかく湖の底のアブクから、妖精たちは生まれる……故郷の北海道へ帰っていた作者はそこに居合わせ「ほんものの妖精だ!」と驚く。「すばらしいまんがのネタがひろえた!」と喜ぶ作者は1人の美女の妖精につきまとい、とうとうこれを捕まえるのだったが。

*『オーマイパック』の第1話。『きまぐれ悟空』連載終了後、この『オーマイパック』全3話が掲載された。ここでは第3話は収録されていないのが残念だが、その理由は不明。
 綺麗で夢のある短篇だがSMギャグみたいな要素まで盛り込まれており、このあと連載される『ふたりと5人』の予兆となっている!? 「おお そうじゃ」という台詞はもしかすると、つげ義春『ねじ式』(1968年)からのパロディか。
 特に論拠の無い推理なのだけれど、もしかするとトビラの構図は『セメントの女』という映画("LADY IN CEMENT" 1968年)のパロディなのかも知れない。

2007年5月25日 (金)

四じょう半の女(ひと)の巻

011_2(少年チャンピオン 1972年9月25日号)

 ある朝、悪夢にうなされて目をさますと作者は、こびとになっていた!! 「これじゃまんがも書けやしない」と困っていたら、若い女の声が。「おやっ あじましでおじゃないか!? どーしたん? いやにちいさくなったね」……黒スーツ姿の彼女は、良く見ると頭に触角を持っていた。「おまえはわがやのゴキブリ!」作者は気付いて叫ぶのだったが。

*『オーマイパック』の第2話。
(注:以下、結末に言及しています)
 冒頭はカフカ(Franz Kafka)の小説『変身』(Die Verwandlung)のパロディか。そしてこの作品(『四じょう半の女(ひと)の巻』)はいわゆる夢オチで幕になっている(こちらは『不思議の国のアリス』(Alice in Wonderland)のパロディだろうか)。夢オチというのは手法としてはありきたり過ぎるという事で、そうした結末とバランスを取るため、また伏線としての役目も果たさせるべく、冒頭に「夢」を配置した構成になっているのかも知れない?
 正義の味方とかではなくその逆、「裏街道を行く」ような「人類の敵」(いずれも台詞から)に注目し、その小さな生命を描く所に、作者の心優しい人柄がにじみ出ていると思う。

2007年5月26日 (土)

スペースオペラ

012_2(少年チャンピオン 1976年3月10日 増刊号)

 宇宙底引網漁船、第三十勝丸(だいさんとかちまる)は、アルファケンタウリから20カイリの地点を時速50Kで航海中であった。が、とつぜん船は停止。「ぐーたら船員ども またサボってるな」と、船長である金髪の美女シーラ・カンスは船内を見回りに行くが……。

*初出誌では『吾妻ひでおのスペースオペラ』という題名だったそうだ。あえてカッコよさの全く正反対をゆくような物語はまさしく吾妻流であり、当時の流行にも影響される事無く独自のものを探究する姿勢またしかりと言えるだろう。
 この作品については当時に、アシスタントだった沖さんが「冗談で言ってたら本当に(先生は)描いちゃった」と、制作裏話を笑いながら教えてくださったことがある。無気力プロで話された「冗談」がどこまで物語の筋に生かされたのか定かでないけれど、企画(?)段階ではどうやら、沖さんのアイディアも何か入っていたらしい(?)。『吾妻ひでおのスペースオペラ』という題名だと、「吾妻流」であるという宣言を超えて、剽窃(ひょうせつ)だか独り占めだかをたくらんで開き直っているみたいでイヤだ、と作者は感じ、『スペースオペラ』と改題されたのかも知れない?
 登場人物にスランという名前が出てくるが、ヴァン・ヴォクト(Alfred Elton van Vogt)の同名SF小説(SLAN)からきたものだろうか。
 シーラ・カンスの服は『宇宙戦艦ヤマト』と『ベルサイユのばら』あたりからのパロディかと思われるが、どうなんだろう。

2007年5月27日 (日)

しかばねに愛を!

013_1(別冊少年チャンピオン 1971年6月号

 ある日、凶状持ち(罪を犯したことがある、の意味)メチル・アルコールは、荒野をさっそうと疾走していた。なんやらかんやらあって五十人ほど殺してしまい、シェリフ(保安官)に追われる身なのだ。彼女は道中でヒッチハイクの男を1人拾い、さらに旅を続けるのだったが。

*枠線をわざと太く黒々と引いたり、視覚的にも内容的にも、少年(児童向け)マンガらしからぬ、実験的なブラックユーモアでまとめられている。こうした前衛的な試みは1970年前後、まだマンガというと児童向けか大人向けかの両極端しか存在しなかった頃にいろいろとなされていたようだ。僕の知るところが正しければそうした運動(?)を推進していた宗家(のひとつ)は虫プロの発行していた『COM』という月刊誌だったのだが、残念ながら雑誌の休刊など諸事情が重なって、マンガ表現の意欲的な模索は徐々に衰退していったようである。とはいえ、その時代に多くの人々の努力によってなされた試みの数々は、今もマンガ表現の中にさまざまな形で引き継がれ、生き続けている。
 吾妻ひでおは、そうした時代の情熱をいまだ失うことなく現役で執筆を続けている漫画家の一人なのだと思う。

(単行本『みだれモコ』は、ここで終わっている。)

2007年5月28日 (月)

はじめに

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 作者は『パラレル狂室』について、「アイデアにものすごく苦しんだ」が、「初めてSFらしいSFを描けたので満足」と『失踪日記』で語っている(p.142)。画像は単行本(奇想天外コミックス 1979年6月10日初版)のカバー。
 この作品が連載されたのは学研の学習雑誌「高1コース」、読者が非常に絞り込まれた出版物だ。少年週刊誌よりも読者の年齢は高く、青年誌よりは低い。かつ、男女どちらの読者にも楽しめるよう、性差の無い普遍性が内容に求められたかも知れない。創作それ自体にある産みの苦しみに加え、こうした特殊な諸条件が伴った事は作者を悩ませたろうか。
 ともあれこのシリーズに収録されている全部で7つの物語はいずれも起承転結が明解で、前衛的な実験は控えた正攻法なつくりになっているようだ。それゆえ特に読者を選ぶところも無く、万人向けの読みやすくて楽しいマンガになっていると思う。
 『みだれモコ』では殆ど一切の説明があえて切り捨てられ、いきなり「現実にあり得ないような出来事」を読者に目撃させ、びっくりさせている。が、この『パラレル狂室』では、読者の生活している現実と主人公の経験する奇妙な出来事との間を橋渡しするような説明が、いくらかある。僕ら読者は階(きざはし)となるその描写を1段ずつ読み進んで、劇中に起きる事件を納得させられ、受け入れて、主人公の活躍する物語の世界へと引き込まれてしまうようだ。
 作劇上の手法ではもう1つ、シリーズ構成上の工夫に注目できると思う。
 『パラレル狂室』は各回読みきりの短(掌)編集になっている。雑誌連載でこうした様式を採用した場合、長所と短所がありそうだ。長所は、各話に(長編の一部分のような)つながりは無いため自由がきき、内容が変化に富んだものを取り揃えられる事。短所は、決まった主人公や全話を貫く筋を持たぬゆえ各話がバラバラとなってまとまりに乏しく、読者の記憶に残りにくそうな事だ。
 ならば、主人公を全話で共通にしておき、その主人公が毎回いろいろな経験をするといった構成にしたら良さそうではある(これはTVドラマなどでお馴染みの方法だろう)。しかしこれにもまた弱点があるように感ぜられる。毎回おなじ主人公が登場すると、ただそれだけで条件反射のように、僕ら読者は「どの話も全部似たような内容だ」と認識してしまいがちなのではないだろうか(本当にそうしたマンネリズムに陥る作品も多いのだろうけれども)。
 『パラレル狂室』はこの点、微妙な方法を採用している。主人公は毎回同一人物(?)なのだが、彼には「名前」は無い。それ以上に、主人公としての際立った特徴や個性があまり無いかに見える。だから、『パラレル狂室』には全話共通の主人公が「存在する」とも、「存在しない」とも言えそうなのだ。
 もしかすると作者は主人公にわざと名前も特徴も与えなかったのかも知れない。それによって、
(1)各回ごとに自由な物語を描く事ができ、かつ、
(2)シリーズとしてひとまとまりのつながりは一応保てる、
という、相反する困難を同時に解決し両立させる事が可能になるであろう、と目論んで。
 そもそもにおいて題名が意味深長なのだった。『パラレル狂室』の「パラレル(parallel)」とは「並行」の意味になる。SF用語で有名であろう「パラレルワールド(並行世界)」の、あのパラレルだ。だから、このシリーズで登場している主人公の少年は、毎回顔が同じ(服装までがほぼ毎回同じ)ではあるものの、もしかすると毎回「別人」なのかも知れない(彼に名前は無いのだから、同一人物であるという証拠は無いであろう)。あるいは、同一人物ではあるものの、生活している宇宙が異なるのかも知れない。つまりは「パラレルワールド」が少なくともここでは7つ存在し、そのそれぞれに同じ主人公が同時に存在するものの、各自が全く別の人生を送っているのかも知れない。
 『パラレル狂室』が「パラレルワールド」を描いた作品なのかどうか、その点が劇中には一切明言されていないので、読んでも気付きにくそうなのだが……。
 『パラレル狂室』は各話の内容だけでなく、シリーズ全体の「構成」にも、実はこういったSF設定がこっそり隠してあるのでは……と僕は思っているのだけれど、どうだろうか。

2007年5月29日 (火)

テレビ

015_1(高1コース 1978年4月号)

 テレビの画面に「本日の放送を終了します」と表示される。スイッチを切ってもう寝ようとしたら「消さないでくれ!」という声が。なんと、テレビが口をきいているのだった。どうも「テレビ放送がオートメ化 複雑化するうち いつしか思考力を持つようになった」らしい。「なんでも見たいもの映すから」と言うテレビに主人公は大喜びするのだったが……。

*『パラレル狂室』の第1話。このころは、民放も深夜になると放送を終了してしまい、朝まで何も番組は無かった(例外は年に1度きり、大晦日だけだったと思う)。それゆえこうした物語が成立したのである。
 ちょっと怖い結末になっている。いい事ずくめで始まるので読者はそういうオチを予想しにくくなりそうだが、それだけに終盤の逆転はいっそう恐ろしい。こうした作劇はもしかすると、日本でも放送されたアメリカ製TV番組『ミステリー・ゾーン』("The Twilight Zone"1959~1964年)や『アウター・リミッツ』("The Outer Limits"1963~1965年)がヒントになっているのかも知れないが、定かではない。

2007年5月30日 (水)

恐竜

016_1(高1コース 1978年5月号)

 「きょうは人類の進化について勉強してみよう」と教壇から話される授業に耳を傾けていた主人公は、どうしたことか、いきなり原始人に変身してしまう。教師はなおも授業を続けるのだったが、主人公はまたも変身、今度は恐竜になってしまった! これは一体……!?

*これは第1話とちょうど逆の構造で、不安と恐怖の後に安堵(?)と笑いがある。あざやかに逆転する筋運びが見事。奇妙奇天烈な教師もとぼけていて面白く、キャラクターの特性が良く生かされていると思う。

2007年5月31日 (木)

くせ

017_1(高1コース 1978年6月号)

 「お手紙読みました よろこんでおつきあいさせていただきますわ…」と美少女から返答され、狂喜する主人公。ただし彼女には「変なくせ」があり、「好きになった人そっくりになる傾向が」あるのだという。「それくらい…」と全く気にせず、手をつないでデートを開始する主人公だったのだが。

*『パラレル狂室』第3話。人間というものの特性、あるいは本質をうまく戯画化したお話に思える。僕らは好きな人と協調しやってゆこうとするあまり、自分というものを少しずつ失ってゆく場合がある。寓意としてそのへんを掘り下げる作劇も可能だったのかも知れないが、なにしろわずか6ページ、ここはコメディたることを最優先にまとめられているようだ。
 トビラにあるマンドラゴラ(の逆!?)のイメージも面白い。
 読後にふと考えた。
 「この少女と同様に"変なくせ"を持っている少年が、似たものどうしでひかれ合ってこの娘とつきあうようになった場合には、いったいどうなるんだろう?」
 ……単なる読者の悲しさ、僕ごときには何の物語も思いつかないのであった。とほほ。

2007年6月 1日 (金)

ヒモ

018_1(高1コース 1978年7月号)

 授業中の教室。退屈していた主人公は窓の外、手を伸ばせばつかめる距離に、変なヒモが降りてきたのを見つける。それに気をとられた主人公は教師に叱られるが、変なヒモに他の生徒たちも驚いて不思議がるのだった。だがその正体が何なのかは誰にも分からず……。 

*『パラレル狂室』第4話。有名であろう吾妻キャラ、「ナハハ」が今回は英語教師(?)として登場。彼は地学教師(?)、や医師としても既に当シリーズで出演しており、このへんはまさしく「パラレルワールド」。
(警告:以下、結末に言及しています)
 ヒモの正体が何であるかは、最後まで明らかにならず幕となっている。「実はこうでした」という種明かしの展開になる作劇もむろんできたのだろうけれども、ここで描かれているのは「変なヒモ」に人々がどんな反応をするか? なのである。芥川龍之介の小説を連想するのか、皆が同じ決断をしたようだ(と言う事は、童話『蜘蛛の糸』を知らない人や外国人が「変なヒモ」を前にしたら、また違った行動をとっていたのかも知れない?)。ともあれ、「誰もが現状に満足してはおらず、より良いどこかの世界への期待と憧れを持っている」のではないか……そんな問いかけが提起されているかに見える。果たしてそうした願いはかなえられたのだろうか? それは不明のままだ。しかし確かであろう事はある。別のどこかの世界へのいざないを人々が待ち焦がれ求める気持ちは、けだし無くなりはしないのだろう、世に増大してゆくことはあっても……。

2007年6月 2日 (土)

怪物

019_1(高1コース 1978年8月号)

 主人公が貯金箱からカネを取り出している。小学校から帰ってきたらしい妹がそれを見つけ、「お兄ちゃん あたしの貯金箱どうするき!?」とすがりつくが、足蹴にされ、カネは奪われてしまう。しかし主人公が買い物に行こうとすると、廊下に見知らぬ子猫が待ち受けていた。猫は怒って突然巨大化し……。

*『パラレル狂室』第5話。アメリカのSF映画『禁断の惑星』("Forbidden Planet"1956年)のパロディであろうか、「イドの怪物」(潜在意識が具体化したもの)が登場する。映画では、怪物の正体を明らかにする推理サスペンスと共に、人類を破滅に導く元凶は何かを観客に考えさせうったえることがテーマだったかと思えるのだが、こちらは首尾一貫したコメディ。とはいえオチにはちょっとした教訓も込められているようで、苦笑しつつも反省させられてしまう。
 トビラが「アラジンと魔法のランプ」にひっかけたようなそれなのは、このおとぎ話が「イドの怪物」をあやつって何かをさせるという話に通じるものを持っているようだ、という吾妻流の解釈か。
 それにしても、「イドの怪物」が利己心の実現や制裁を加えるためではなく、善行を成す為に用いられたらどんな物語になるのだろう? 平凡な読者の僕にはうまく想像できないが……。

2007年6月 3日 (日)

落し物

020_1(高1コース 1978年9月号)

 補習ですっかりおそくなってしまった主人公は、その帰り道、夜の公園でいちゃつく男女を見て羨む。「オレも彼女ほしいなー」と涙をこぼしていたら、なんと道端に全裸の美女が倒れているのに出くわす。死体か!? と思ったら、眠っているだけらしい。結局、家へ連れ帰り、一晩泊めてやることにした。「やはり夏とはいえあんなところで寝てちゃカゼひくだろうし……蚊とかいろいろさすのもでるだろうし……」と判断したゆえだったが。

*『パラレル狂室』第6話。なぜトビラが「一寸法師」(?)なのかよく分からない。今回は別に、立身出世の話というわけではないだろう。もっとも結末で主人公は(精神的に)大きく成長するのだが。そこに引っかけているのだろうか。
 生きている人形のような美女というのは、少年にとって何となく都合の良い夢なのかも知れない。そこへ作者は、弟たちを教え諭すかのように、ちゃんと教訓を埋め込んでいるようだ。
 オチの伏線が途中にあるが、女生徒の読者たちにはこれで通じたかどうか……? 高校1年生なら心配無用かも知れないね。

2007年6月 4日 (月)

地下室

021_1(高1コース 1978年10月号)

 夜。あすテストなので主人公は猛勉強している。くたびれて洗顔に行き、また部屋へ戻ろうとしたら、廊下に何か入口が開いているのに気付いた。「へー おれんちこんな地下室あったっけ…」と不思議がりつつ階段を下りてみると、そこにはやわらかいベッドがある。そしてそこにもまた、さらに下へ続く入口があって……。

*『パラレル狂室』の最終回。
(警告:以下、結末に言及しています)
 読み進むと主人公の両親が登場する。しかしその風貌はこのシリーズで以前に登場しているキャラクターとは異なるようで、やはりパラレルワールドに別の主人公(とその家族)が存在するらしい(?)。
 自分の願望を深く深く掘り下げていってみたら、その究極にあったのが……といった感じの意外な結末は、怖いけれど見事。そしてオチはしっかりギャグでしめくくっているのが流石に吾妻マンガなのだった。

 単行本『パラレル狂室』ではこのあと、
妖精狩り
ラ,バンバ(ヒューマノイド・ミニーの巻)
が収録されていますが、当ブログでは既出のため割愛します。

2007年6月 5日 (火)

ふらふら少年漂流記

022_1(少年チャンピオン 1978年9月4日号)

 「それじゃお母さん 塾へ行ってきます」と家を出発した主人公。歩きながらも読書をするほど勉強熱心だが、強烈な夏の陽射しにやられ、道路上に倒れてしまった。そこを通りかかった少年たち3人が主人公を踏みつけてゆく。頭にきた主人公は彼らをぶちのめし、その持ち物をまきあげてタバコをふかすのだった。それから彼はタクシーをひろうが、「どこまで?」ときかれて「海でも行こーかなー」という返事。塾へ行くつもりは無いようで、どうも彼の様子がおかしい……?

*太陽がまぶしかったから人を殺した、というのがカミュ(Albert Camus)の『異邦人(L'Étranger)』だけれど、こちらは、太陽がまぶしかったから主人公の別の人格(?)が現れる。通読すると夏の太陽が物語の全体を支配しているかのようで、やはりパロディになっているのでは? もしかするとまたいつか、主人公は太陽によって別人のように行動するのだろうか。
 台詞にある「犬笛」うんぬんというのは、この年(1978)に同名の映画(原作は西村寿行)が公開されたので、それにひっかけたギャグらしい。
(注:以下は単なる思い出です)
 『ふらふら少年漂流記』は誰かの原稿が落ちる(締め切りに間に合わない、の意)ということで急きょ吾妻先生に原稿依頼が入って生まれたもののようです。で、無気力プロは予想外に忙しくなって、僕にお呼びがかかり、お手伝いさせて戴けることになったのでした。
 この作品は夜間に制作されたのですけれど、たしか夜が明けて原稿がほぼ完成した時点で、くだんの原稿が落ちることなく間にあったという連絡が入り、それによって雑誌への掲載は予定よりずれることになったと記憶しています。それでも朝には無気力プロへ編集者が来訪して原稿を受領し、すぐ社へ引き返したようでした。この時の編集者はたしかメガネをかけた細身の男性で、その容姿から考えると(この作品でも弁当を奪われる父親役に似顔絵で出演している?)かのWさんではなかっただろうと思うのですが、定かではありません。
 途中、木の実が出てきますけれど、これは沖由佳雄さんが図鑑で調べて品種を決定、作画しておられました。無気力プロの本棚には児童向けの図鑑がいろいろ揃えてあり、時々作画の資料として用いられていたようです。たしか、本棚のこの図鑑が収まっている部分は写真撮影され、雑誌「スターログ日本版」に載ったことがありました。何人かの作家の本棚の写真が並べられているのを見せ、これは誰の本棚かを読者に当てさせるクイズに使われたようなのですけれど、図鑑のところに「この人は子供がいるか、児童文化に関心がある」といった、ひっかけみたいなキャプションが付されていたようです。
 え~~、僕がやらせて戴いたのは消しゴムかけやベタ(指定された部分を墨汁で黒く塗ること)などだったのですけれど、簡単な模様とかも描かせてもらえました。自動車が海水浴場へ突撃してくるコマの人々の水着や、画面左端にいる腕輪をした女の子の水着に"SEPAC"と書き込んであるのがそうです。「そんなブランドあったっけ?」と首をかしげるのはお洒落な人で、"SEPAC"というのは粒子加速器を用いた宇宙科学実験を意味する略称だったのです。付け焼刃で変な見栄を張ってそんな悪戯書きしてたんですね。
 しかし最も罪深い失敗は、スイカ畑の場面、「この人 正常じゃないみたいよ」という台詞のあるコマでしょう。しゃがんでいる女の子のスカートの奥、パンツがちょっとだけ見えているのですけれど、これ、犯人は僕なのです、吾妻先生じゃありません。
 ……ちょっと言い訳をさせて下さい。真夜中にマンガを描くというのは、何かこう一種独特のものがつきまとう作業で、何時間かそれに取り組んでいると、自分がその作中の世界へ本当に半分入ってしまっているみたいな感覚になってくるんですよ、僕だけかも知れないですが……(ただマンガを「読む」だけであれば、真夜中であってもこうした錯綜は起こらないような気がします)。だもんで、トビラから始まって11枚目にまで作業が進む頃になると僕の頭はすっかりおかしくなっていて、登場キャラクターの女の子が絵の中に生身で実在しているみたいな感じがしてきたのでした。マズいのはその後で、僕はふと思いました「こんな可愛い子のパンツ見られたら幸せだなぁ」……結局僕は欲情に負け、無断で線を1本、描き加えてしまったのでした。次のページ、「生きてるわよ」のコマも、僕のしわざだったろうと思います。
 完成したページは吾妻先生がチェックしておられましたから、こんな線を引いた覚えは無いとすぐ気付かれたことでしょう。どうも先生はあえて見逃し許して下さったようなのです。
 吾妻先生、本当にどうもすみませんでした、とほほ……今さらザンゲしても遅すぎるでしょうけど……。

2007年6月 6日 (水)

セールスマン

023_1(まんがドンキイ 1978年12月23日号)

 アパートに騒々しいノックの音が響き渡る。「ハイハイハイハイ うるせーなー」とドアを開けたら男がいて、なぜかいつまでも無言のまま突っ立っているばかり。「なんなんだ! この野郎!」と胸倉をつかんでみると「セールスマンです」という返事。しかしいくら待っても男はそれ以上何も喋らず……。

*『トラウマがゆく!』の第1話。単行本『失踪日記』(p.143)には、「まんがドンキィに『トラウマがゆく』連載 このへんからわたしはがぜん波に乗る」という作者の回想がある。
 一般的(?)にギャグマンガというと、主人公の間抜けさや愚かさ、展開の意外性や大げさなことなどが描かれるかと思う。しかしこの作品にはそうした、喜劇の"定番"みたいな要素が殆ど無いようだ。それゆえ「どこで笑えばいいのやらワケが分からないし、狂気じみているようで怖いだけ」と感じる人と、「珍妙さが独特で、次に何が起きるか予測不可能な点に変な魅力がある」と感じる人とに、好き嫌いがはっきり分かれる作品かも? 何に笑うかという感性は本当に個人差が大きいようで、作者も『逃亡日記』で(p.107)、自身が読者であった頃の経験を語っている。
 トラウマとは、精神分析で「心の傷」といった意味があるようだ。主人公は過去に何かを経験し、それがもとで表情を喪失したのだろうか?
 個性も人格も感情も持たぬ量産された工業製品を大量に並べたかのようなトビラは、読者に気に入られるかどうかなどこれっぽっちも気にしていない(?)主人公の、およそありきたりでない特性がかえって伝わって来るようで興味深い。「この現代社会に人間などは存在しない、規格化された無個性な部品が寄せ集められているだけだ」といった風刺にも見えるが、どうだろうか。
 いわゆる訪問販売といった形式の商売は現代では廃れてきているかも知れないが、この頃にはまだ普通に見られたようだ。

2007年6月 7日 (木)

インタビューアー

024_1(まんがドンキイ 1979年1月13日号)

 大混雑している列車の車内。「えーインタビューでございます ひとことお願いします」とマイクを向けてくる主人公。「場所をわきまえて そんな時じゃないでしょ!」と若い女が断る。インタビューしてきた主人公は無言無表情で涙を流し続け、とうとう女が言う「わかったわよ 何が聞きたいの!?」。しかしその返事は「ナニがと言われても……」。

*『トラウマがゆく!』第2話。
(警告:以下、結末に言及しています)
 セールスマンに続きインタビューアーと、どうも主人公は「招いていないのに突然やって来る迷惑なヤツ」という立場を運命づけられているらしい(?)。けっして暴力的ではないのだけれども、いつの間にか出現し、消え失せてくれない。鬱陶(うっとう)しい変人……と思いきや、実は世の中、そんなヤツばかり……といった皮肉が感じられるけれども、どうだろう。
 第1話『セールスマン』に比べると、いくぶん正統的なギャグの様式が見られるように思う(奇怪な主人公が「ボケ」をなし、それに振り回される普通の人が「ツッコミ」の立場になっている)。
 作者は『ふたりと5人』で数年間にわたり少年誌ギャグマンガを発表してきた(1972年10月~1976年9月)。ひょっとするとそれによって「実験的な事が許されない」といった精神的な抑圧を受け、例えるなら地下のプレートが何年間も捻じ曲げられてエネルギーをためてゆきついに地震を引き起こすように、こうした実験的ギャグの発露を見るに至ったのだろうか? もしそうであるとすれば、作者を苦しめた『ふたりと5人』が逆に、作者に力を溜めさせる役割も果たしたと言えるのかも知れない。
 普通に生活していると誰かからインタビューされるという経験は殆ど無さそうである。しかしおそらく数え切れないほど「インタビューされる立場」を経験してきたであろう作者にとっては、インタビューアーというものが現実の世界にうごめく奇妙な存在と感じられたのだろうか。

2007年6月 8日 (金)

つかれる方程式

025_1(Peke 1978年9月号)

 大泉星探検隊から宇宙ステーションに、緊急事態だと連絡が入る。隊員がみな梅毒にかかってしまったので薬を送ってくれというのだ。連絡艇のパイロットは使命を帯びて発進するが、なんと密航者1名、美少女が乗り込んでいた。しかし船には一人分の燃料しかつんでいない、少しでも重量がふえると着陸の推力が足りなくなる。よって密航者はすみやかに宇宙空間へほおり出さねばならないのだった……。

*『失踪日記』p.143には「Pekeで『どーでもいんなーすぺーす』連載 SFパロディを堂々とやる」とある。ということは『どーでもいんなーすぺーす』第1話であるこの作品も何かのパロディかも知れないのだが、残念ながら僕には正確なところが分からない。トム・ゴドウィン(Tom Godwin)『冷たい方程式』(“The Cold Equations”1954年発表のSF小説)が元ネタ? (ちなみに、高千穂遥『変態の方程式』(奇想天外 1981年5月号)が、このマンガのパロディなのだろうか? その挿絵は吾妻ひでおによるものだったらしい)。
 『どーでもいんなーすぺーす』シリーズはハヤカワコミック文庫『ネオ・アズマニア1』に収録されており、現在、入手に困難は無く読めるはずだ。なお「女の子いないもんだから みんな欲求不満のあまり 野生動物をみさかいなくおそいまして…中にタチ悪いのがまざっていたようです」という性病発生の事情を伝えるくだりは、差別ないし先入観を助長すると判断されてか、架空の病気に描き替えられたようである。
(注:以下は思い出です)
 連絡艇のメカニックデザインは沖由佳雄さんによるもの。沖さんとしては不本意な出来だったようで、「オレは"ほかに何か考える"って言ったんだけど(吾妻)先生は"これがいい、これがいい"って言って、通っちゃった。イモメカや~」と嘆いておられたのを覚えています。

2007年6月 9日 (土)

惑星間スカウター

026_1(Peke 1978年10月号)

 「星間タレントキャラバン」なる垂れ幕(?)を付けたロケットが惑星に着陸する。その中から降り立った美女の名はカレーライス、彼女を出迎えた男は「うけ」そうな宇宙生物を探すため先に調査をしていたらしい。「どう この星にはモノになりそうなのいて? 最近わが暗黒プロはスターを出してないからな」とやや焦っている様子の彼女に、男はこの星で見つけた珍生物を次々と紹介してゆくのだったが。

*『どーでもいんなーすぺーす』第2話。アーサー・K・バーンズ(Arthur K. Barnes)『惑星間の狩人』(Interplanetary Hunter 1956年発表のSF小説)のパロディであるらしい(ヒロインの名前はゲリー・カーライル(Gerry Carlyle)なのでこれをもじっているのだとか)。地球上でやっているような芸能界商売を宇宙でも同様に人類がやっているというのはヘンな説得力と分かりやすさを持っていて面白い。奇妙な宇宙生物たちのアイディアは実に豊かで、吾妻流のセンス・オブ・ワンダーを楽しめる回となっている。
027_1 カレーライス女史のコスチュームは、単行本『どーでもいんなーすぺーす』(大都社 1994年5月30日初版)のカバーで見るに紺と白であるようだ(この配色は日本の女学生の制服のそれをほうふつとさせる?)。後ろにあるロケットはイカみたいな形状で面白い。また、後にあらためて述べるつもりなのだが、このカバーには『恍惚都市』に出てくるコンビの姿も描かれており、R・ブキミの顔面のプレートが肌色であるらしいと分かる(手塚治虫の作品に登場する天才外科医を僕は連想するのだが……?)。

2007年6月10日 (日)

少女と犬と猫とブタと馬と牛と……

028_1(Peke 1978年11月号)

 どこまでも続く廃墟の街を、1人の少女と1匹の犬が歩いてゆく。やがて少女は力尽きて倒れ、犬は主人を励ますように吠える。「どうやらあたしが地上最後の女の子みたい…おまえは最後の犬ってわけね 食べ物もないし このまま苦しみ続けるよりは……もう終りにしましょ」1人と1匹はビンから取り出された大量の錠剤をあおり、死の眠りに就く。……と思いきやイカサマで、少女は薬など飲んではおらず、犬を食おうとする。しかし犬も犬で、薬など飲んでいなかった。あまつさえ怒った犬はなんと口をきいて叫ぶ、「さんざつくしてきたオレを食おうとしやがって!」……!?

*元ネタが何なのか残念ながら僕には分からない。感動的な(しかしいささか新鮮味には乏しい?)出だしで始まり、突然、風刺たっぷりのギャグへ大逆転し本編が始まるという演出と構成は絶妙。題名にあるとおりこの後いろいろ動物たちが出てくるのだが、これまたいずれも生き生きとしている(こうした点も吾妻マンガの特長のひとつだろう、とにかく自然や生物の描写に強い人だと思う)。台詞にある「フィルムは生きている」は手塚治虫の作品名。
(注:以下は思い出です、物語に直接関係ありません)
 「明日の××時ころ仕事が終わると思うから、無気力プロのほうへ直接来てよ」
と、沖由佳雄さんから言われ、出向いた事があります。その時の用事が何だったのか思い出せないのですが……。沖さんはよほど忙しかったのか、徹夜仕事開けの後に会って下さったわけで、氏の誠実さ(そして若さゆえの体力?)がしのばれる思い出ではあります。で、行ってみたその場でまさに製作中だったのがこの回、『少女と犬と猫とブタと馬と牛と……』でした。室内へあがらせて戴き、沖さんの机の横へ行って覗き込んでみると、ちょうど最終ページにペン入れしておられるところだったのです。「第三次世界大戦か何かですか?」と僕がたずねたら、「うん、そうみたい」と沖さん。殆ど完成目前と見えたので、僕は部屋のすみで座って待たせて戴くことになりました。その時の無気力プロにクーラーとかは無く、扇風機も置いて無かったようです。初秋だったその日、室内はちょっと暑くて。僕はだんだん申し訳ない気がしてきて、とうとう吾妻先生に言いました、
「あのう、先生、もし何かお手伝いできる事でもありましたら……ただ座って室温を上げているのも……」
すると先生は苦笑されて、
「う~ん、特に無いみたい。ゆっくりしてて」
と言って下さったのでした。
 やがて原稿は完成し、沖さんも出かけられるようになったのですが、はて、無気力プロを辞するにあたって吾妻先生になんとご挨拶申し上げたら良いのか、どうも常識と言うもの(あるいはノーミソ)が足りない僕には分かりませんでした。それで困ったあげく、
「じゃあ、(無気力プロのアシスタントである沖さんを)お借りします」
と言いました。先生は吹き出すように笑われ、
「あげるよ」
とおっしゃられたのです。
「あっ、もらったーっ!!」と僕は叫んで沖さんを指差し、沖さんは何が何だか分からないという表情をしておられた事を覚えています(何をやってたんだろ、オレ……)。

2007年6月11日 (月)

すーぱーがーる

029_1(Peke 1978年12月号)

 「ぼくの学校には すーぱーがーるが 一人いるけど 少し気弱なのが難点なんだ」
というナレーションで紹介される少女は、お尻を触られては泣き、パンが売り切れては泣き、とにかくか弱い。事件を察知すれば女子トイレで着替えてさっそうと窓から飛立つのだが……。

*どーでもいんなーすぺーす第4話。けだしこの読み切り作品が『ななこSOS』シリーズの原型になったものと思われる。ヒロインの容姿も第1話のななこに似ているようだ。ただし、この短篇の少女の名前は不明であり、またその"オチ"から考えて、どうも別人であるらしい……。

2007年6月12日 (火)

恍惚都市

030_1(Peke 1979年1月号)

 二〇〇一年 コーコツシティ。美少女暴行殺人事件が発生し、コーコツ警察総監のもとへアジマフ刑事がやって来る。が、総監いわく「君には手を引いてもらう」。紹介された新しい担当者、R・ブキミはなんとロボットだった。しかしこれまた少々屈折し問題を抱えているようで、結局アジマフ刑事とR・ブキミは一緒に仕事をすることになったが。

*どーでもいんなーすぺーす第5話。どうもアジモフ(Isaac Asimov)のSF小説『鋼鉄都市』("The Caves of Steel"1953年)のパロディであるらしい。この1人と1台のコンビは『Dr.アジマフ ロボット連れて』(1979年8月)で復活し、シリーズで主演している。R・ブキミは「先端恐怖症」のようなのだけれど、『吾妻ひでお大全集』のインタビュー(p.224)によれば、作者自身がそうなのだとか。
 「ツ、ツ、ツアラトストラかく語りー」という歌(?)は、もしかすると野坂昭如が洋酒のCMで歌っていた曲(「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか」で始まる、1975年ころ?)の替え歌かも知れないが不明。
033_1 既述の通りR・ブキミの顔面右側は肌色であるらしい。これ以前に描かれたロボットのブキミは、この部分が白色ないしは銀色のようであったと感ぜられるだけに、ちょっと珍しい?(画像は単行本『天界の宴』裏表紙。)

2007年6月13日 (水)

いもむし以上

031_1(Peke 1979年2月号)

 「全日本超能力者大会 第3回TYOCON会場」へ1人の美少女がたずねてくる。彼女にはテレパシー能力があるのだったが、それを使ってみると受付の男はろくなこと考えてないのが分かる。メンバーは確かに全員が超能力者のようだった。しかし……。

*どーでもいんなーすぺーす第6話(これが最終話)。シオドア・スタージョン(Theodore Sturgeon)のSF小説『人間以上』("More than human"1953年)のパロディらしい(作者は『吾妻ひでお大全集』のインタビュー(p.47)に、スタージョンの長編で最も好きなのが『人間以上』だと答えている)。トビラは聖悠紀『超人ロック』のパロディかも知れないが正確なところは分からない。「島苦」という人物はSF作家クリフォード・D・シマック(Clifford Donald Simak)からか、あるいは関あきら『スター☆シマック』にひっかけているらしい?
 会場入口ドアのポスト(だろう)に「吾妻 無気力プロ」と読める。どうも当時の無気力プロを舞台にしているみたいなのだが、現実では無気力プロは1階にあったようだ。

(単行本ではこの後、
ネリマー国物語 Oの泉篇
ひでお童話集(神様、王様、不思議なカラス、悪魔)
不条理日記が収録されていますが、当ブログにおいて既述であるため割愛します。)

2007年6月14日 (木)

吾妻ひでおのみたされた生活

032_1(OUT 1978年8月号)

 「吾妻センセ いらっしゃいますか?」と訪ねて来た美少女を作者が出迎える。
「あたし先生の大ファン……だったものですから…」
「過去形にするなよー」
 少女との漫才みたいなやりとりのうちに、作者の「みたされた生活」が明らかになってゆく。

*(注:以下は単なる思い出です)
 冒頭で美少女が「吾妻センセ」と言ってますけれど、秋田書店から渡されるB4くらいの封筒にも黒マジックで「吾妻せんせ」とかとあったようです(「先生」とは書いてなかった)。『失踪日記』によれば「綽名がセンセーだった」(p.134)とのことなので、そのゆえだったのでしょうか。
 最初のコマに出てくる玄関が当時の吾妻先生のご自宅なのかどうか不明(仕事場の無気力プロは平素無人なのでニャンコはいませんでした)。

(単行本『パラレル狂室』は、ここで終わっている。)

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