カテゴリー「21 エイト・ビート/きまぐれ悟空」の記事

はじめに

01_6 このカテゴリでは、吾妻ひでおの出発点であった「少年マンガ」のジャンルから、3つのシリーズを紹介したい。初出の順序に従って、『ラ,バンバ』、『エイト・ビート』、『きまぐれ悟空』と話をすすめてゆこうと思う。
 『ラ,バンバ』は注目すべきことにSFマンガである。全6話と、連載は短かかったようなのだが(週刊少年チャンピオン1971年1月1日号~2月15日号)各回読みきりの分かりやすい内容で、決してSFマニアでなければついていけないといった作品ではない。にもかかわらず、何故かくも短期間でシリーズが終了したのか分からない。大変惜しいことに思われる。理由は不明だが『失踪日記』でこの作品についての言及は皆無。SF路線で吾妻マンガ絶好調だった時期でさえ全話が単行本収録され発売された事は無いようだ。
02_7 とはいえ、雑誌で初掲載されたあと全く読めなかったわけではない。単行本『きまぐれ悟空』の第2巻(朝日ソノラマ、1977年)には4話ぶんが、単行本『パラレル教室』(奇想天外社、1979年)に1話が収録されている。が、最終回の収録と発売の記録は現在に至るまで無い。実を言えば僕も、このシリーズの最終話の内容を知らないのだ……。
 『ラ,バンバ』が発表されたのは1971年で、その時勢が不利にはたらいたのではないか? という気がする。アメリカのアポロ計画により人類はついに月へ降り立った(1969年)が、生物どころか水さえも無いと分かって人々はがっかりし、宇宙開発の規模も縮小されてゆく一方になっていた。1970年には光化学スモッグやヘドロなど公害問題が顕著になり、大衆は(少年達も含めて)科学技術の可能性よりも限界や弊害に注目していたような記憶が残っている。もしも『ラ,バンバ』がもう少し早く、1960年代前半に発表されていたら、このシリーズの評価も作者のその後の漫画家人生もそうとう違っていたのではないか、などと考えてしまうのだけれど、どうだろう(こうした仮説に意味は無いかも知れないけれど)。ともあれ、科学技術やSFへの関心がかなり冷え込んでいたような時勢が好転するのは、スペースシャトル「エンタープライズ号」の滑空実験が始まり宇宙SF映画が輸入公開されるようになる1977年ころまで待たねばならなかった。
 さて、上述のとおり『ラ,バンバ』に関しては、これを表題とした単行本が存在しない。よって当ブログでは2冊の単行本をテキストに用いてここで1つにまとめ、内容が分かっている5話ぶんを紹介させていただこうと思う。

気候大改造計画の巻

06_9(少年チャンピオン 1971年1月1日号)

 七輪で何やら調理中の少年がいる。なんと彼は室内でそれをやっているのだった。部屋にはもう1人壮年の男がおり、彼にむかって少年は言う、「センセ きょうぼくの給料日なんですけど」。しかし廃墟みたいなビルに住んでいるらしいこの男、どうも天才を自負する科学者のようなのだがカネは全く持っていない。そこへ彼の娘が入ってきて……。

*主人公の「番馬(ばんば)」、その師である「Mr.ウイ(という名前であるらしい)」、そして彼の娘である「あき子」の3人が揃って、物語の幕が開く。各人ともその性格や境遇がすぐ分かるような登場の仕方をしており、作劇にはムダが無い。主人公の番馬は学生帽のようなものを被っているがこれは今回だけで、後は着用しなくなったようだ。珍発明によって騒動が起き、これをまた意外な方法で解決するという展開は、正統的な少年SFマンガの様式になっていると言うべきか。ニュースの台詞で「この異変に対しサトウ首相は…… まったく気が狂っているとしか思えない といっております」とあるのは、当時に旅客機ハイジャックが発生し、総理大臣が本当に語った言葉を持ってきたものと思われる。主人公の台詞で写植が空白になっている箇所が2つあるが、僕の記憶が正しければ雑誌掲載時にはそれぞれ「逆」、「科学的」が入っていた。

ヒューマノイド・ミニーの巻

07_9(少年チャンピオン 1971年1月4日号)

 先生がなんか実験をやっていたので、番馬は説明をききたい。「専門ではないが生物学をちょっとね」と見せてくれたのは、「人間の養殖」というものだった。半信半疑のうちに日々は過ぎ、ついに第一号が生まれる。それはなぜか「赤ンボにしては出るとこ出て」いる小人の美女で、何か喋っているのだったが……。

*男の夢だか妄想だかのような事がかなってみたら、予想外のところで悪夢になってしまうという皮肉な展開が楽しい(とはいえ、現実をふまえたような要素も感じられる!?)。一発逆転の解決策も意外な手を使っており、独創的で面白い。
 かつて「無気力プロ」が新聞「ALICE」を発行していた時、読者からのおたよりコーナーに、この「ヒューマノイド・ミニーの巻」を所持している人がいたら譲ってくれないか、というおたずねが掲載されていたようです。それは単行本『きまぐれ悟空』が発売された後だったのですが、ちょうどその「ヒューマノイド・ミニーの巻」は収録されていなかったわけで、沖さんが苦笑しつつ同情しておられたのを覚えています。ああ、それにつけても僕は、このシリーズの最終回まで全話を収録した単行本を発売して欲しい。

タはタイムマシンのタの巻

08_11(少年チャンピオン 1971年1月11・18日号)

 あじましでおは、タイムマシンを作って三万年未来へ行く。そのころ番馬は先生(Mr.ウイ)に、タイムマシンの可能性について質問していた。アインシュタインによればありえないという返事だったが、独自の新理論によって先生はあっさりタイムマシンを完成させてみせる。番馬とあき子がためしにそれを使ってみると……。

*フランスのSF小説『猿の惑星』(La Planète des singes)が1968年にアメリカで映画化され、以来シリーズ化し日本でも公開されていたので、未来への時間旅行というテーマは当時の少年読者たちにとってさほど突飛なものではなかっただろう。冒頭に出てくる作者自画像は一見お話に無関係なようでありながら、ちゃんと後で筋の展開に重要な影響を及ぼしている。

見知らぬ星の殺人狂の巻

09_9(少年チャンピオン 1971年1月25日・2月1日号)

 太陽が2つある奇妙な世界。そこには、頭に触角を持つ天使のような生物と、ウズラの卵のような生物とがいた。後者はなぜか殺し合いをしているようなのだが、そこへ肉マンみたいな飛行物体が空に現れ、着陸する。中から降り立ったのは番馬たち3人組。「異星の人間つかまえて動物園にたたき売る」という計画でやって来たらしく……。

*"空飛ぶ円盤"型の宇宙船というのは1960年代後半のアメリカTV番組『宇宙家族ロビンソン』(Lost in Space)などで登場し、日本でも広く知られていたので、デザイン上のヒントになったかも? 女性用のパットに、CMパロディ(マンダム)や映画パロディ(「死んでもらいましょ~」)の台詞など、細部に当時の大衆文化がうかがえる。
 天使のような生物はとても可愛らしいのだが、こうした"美形"キャラクターにわざと脇役しかさせないのが吾妻マンガの特徴のひとつ?

笑いじょうごのコンピューターの巻

10_9(少年チャンピオン 1971年2月8日号)

 あたり一面ガラクタしかないような星へ着陸した番馬たち一行。ふと遠方へ目をやると、こわれていないビルがある。近寄ったらばしかしのっぺらぼうで、共同のお墓かと思いきや、それは動きだして口をきいた。どうやら思考能力のあるコンピューターであるらしいのだが……。

*トビラの大胆な構図に作者のセンスが光る。このあと最終回である第6話、『おわり』(少年チャンピオン 1971年2月15日号)が存在するらしいのだが、残念ながら単行本未収録で謎のままとなっているのは以前申し上げたとおりで、まことに残念。
 (注:以下は殆ど雑談です)
 吾妻先生へこのお話について直接おたずねしたことがあります。場所は喫茶店カトレア、沖由佳雄さんも同席しておられました。僕が、
「あれは『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)のパロディなんでしょうか?」と質問すると先生は、
「いや……」と一言。沖さんが先生に、
「『2001年』は原作も映画もご覧になってないんですよね?」と確認されたのです。先生は面目ないといったふうに、
「ああいうコンピューターの話はよくあるんだ……」とおっしゃられました。僕は、
「あれれ、そうなんですか……。いや、そっくりなのが登場してると思ったもんで」と言ったら先生曰く、
「んじゃ(それは)クラークが俺のを真似たんだよ」
全員爆笑した記憶があります。僕の誤解は『2001年宇宙の旅』に"モノリス"と呼ばれる黒石版のようなものが登場し、これが発信機だか生命体だか得体の知れない存在で、かつ想像を絶する力を持っているらしい謎の物として描かれているのをちょっとだけ知っていたからでした。映画『2001年宇宙の旅』は1968年に公開された作品でしたが当時は不評で(映画館の立て看板がぶっ壊された史実があると聞いています)、日本では1978年頃にリバイバル上映となり僕はこの時に初めてこの映画を観ることができたのでした。沖さんもこの時に映画をご覧になったようで、科学考証やらデザインやら、いろいろ話し合った思い出があります。

はじめに

03_8 いま僕の手許にあるのは扶桑社文庫版(1996年発行、画像はその表紙)のみなのだが、これは最初に単行本化された時の朝日ソノラマ版と収録内容に違いは無いらしい(差別語となるおそれのある台詞などは直されているかも知れないが)。当ブログではこれをテキストに用い、あらすじを紹介させていただこうと思う。
 吾妻マンガで"探偵もの"というと、この『エイト・ビート』と『チョコレート・デリンジャー』の2作品になるだろう。自伝マンガ『私の読書体験 どくたい』(早川書房 2005年9月)によれば「高校生の頃は(中略)ドイルのホームズ物には熱中した」とのことで、原点はそこにあるのかも知れない。SF不条理ギャグ漫画家(?)として自他共に認めていそうな吾妻ひでおにしてはちょっと珍しく感ぜられる。しかしSF作家アジモフ(Isaac Asimov)の作品でも、SFにしてかつ推理小説ふうのものがあるというから、SFとミステリーは、ジャンルとしてそうかけ離れてはいないという事だろうか?
 ともあれ作者の個性が色濃くうかがえて大変興味深いのがこの『エイト・ビート』だと思う。物語や設定については各話ごとに今後見てゆくとして、ここでは主人公の特性を概観してみたい。
 僕の記憶が正しければ、作者自ら「最初 色っぽい男の子にしようと思ったが だんだん普通のアホの子になってしまった」と回想している(『吾妻ひでお 不滅のキャラクター特集!』吾妻マガジン ALICE むちむち号(=無気力プロ発行の、コピーによる新聞)1977年5月7日)。これはユニークな試みだったろう。何故かと言うと、それ以前、1960年代の少年マンガの主人公は(たとえギャグマンガであっても)喧嘩はあるていど強かったり、けっこう「男らしい」タイプが普通だったと思えるからだ。
 ところがこの『エイト・ビート』では、主人公がめっぽう弱い。しかもレギュラー出演する美少女"メチルちゃん"は陽気なサディスト(このスゴい設定も当時どえらく珍しかったと思われる)なので、毎度さんざんにやられていたりする。おまけに相棒の"ネコイヌ"にまで時々コケにされているというていたらく……。
04_9 「それじゃ『ふたりと5人』の主人公おさむの原型ではないか」と思われるかも知れない。が、その判断は早計だ。エイト・ビートは、ちょっぴり美少年なところがある。男の子だけれど可愛らしくて、ちょっとかっこいい。そういう要素を持っているキャラクターなのだ。
 この評価の客観的な証拠として(?)、私立探偵エイト・ビートには連載時から、熱烈な女性ファンがついていた。前述の『ALICE』ではそうした人からのお便りが紹介されていたのを読んだことがある。連載終了しても単行本が出ないのを怒り、「あれ(注:『エイト・ビート』)が読みたくてチャンピオンを買ってたのに、秋田書店の大バカ!」等と書いてあったようだ。さいわい『エイト・ビート』は1977年6月には単行本化された。ただしそれは雑誌連載時の版元たる秋田書店からではなくて、朝日ソノラマからだったのだが。なおこの『エイト・ビート』単行本出版についてはファンがこれを実現せしめたという話が『吾妻ひでお大全集』(奇想天外社 1981年)のp.263には見られ、「71年頃、「吾妻ひでお友の会」が結成された。石森ファンクラブのメンバーを中心とするこの会は「エイト・ビート」の単行本化を目標に活動し、見事、単行本化に成功した」とある。
 いわゆる「おたく」の美感覚あるいは好みの中に「ショタ」というのがあるようだ。この俗語はしいて単純に訳せば「かわいい少年(また、それを好むこと)」の意になるだろうか(?)。ともあれ、そうした要素だか傾向だか魅力だかが、この『エイト・ビート』にはあったのではないかと思う。
 「美少"女"ならともかく、美少"年"の何が面白いのだ?」といぶかられそうである。僕もそのへんをうまく説明できない。若さに伴うナルシシズム(作者は当時二十歳でついこの間まで自身が少年であったわけだし、読者の大半は少年だった)のようなものにうったえる所があったのか? 或いは「自分がこんな美少年だったら良いのに」という憧れか何かか? このあたりの心理の分析はひとまず置いておくとして、主人公エイト・ビートが"可愛い少年"であったことは、注目されて然るべき重要な点ではないかと思う。なぜなら、彼の後に続く吾妻マンガの男性キャラクターで、そういう魅力を作者から与えられて生まれた者は皆無に近いのではないかと感ぜられるからだ。
 次週からの新連載、ということで週刊少年チャンピオンにはこの作品の予告が載ったようで、その切抜きを沖由佳雄さんが所持していたため僕に見せて下さった事がある。これが最もカッコ良く描かれたエイト・ビートだと沖さんは言っていて、僕もそう感じたのを覚えている。吾妻マンガの男性キャラクターは数多くいるけれど、「可愛くて、時にかっこいい」喜劇俳優は、くりかえし何度も言うが、彼だけだと僕は思う。

No.1 探偵もらくじゃない

22_6(少年チャンピオン 1971年7月19日号)

 「江戸川乱走探偵スクール 卒業式」の貼り紙がある。会場では校長があいさつの最中で、どうやらこれが第一期卒業生となるようだ。ところがその卒業生と言うのはたったの1人、「エイト・ビート」だけで、おまけに「よく考えてみると きみはとても 探偵になれる器ではないのだ」と校長から言われてしまった。のっけからこんな調子で、いったいこの主人公はこれからどうなるのだろうか?

*第1話であるため、主要登場人物たちの顔見せ的な内容。しかし各人の個性が強いだけに面白い。
 主人公の恩師である江戸川乱"走"が観ている「シャボン玉ホリデー」は石鹸メーカーがスポンサーの歌番組で、当時かなりの高視聴率をあげていたと思われる。相棒のネコイヌは『二日酔いダンディー』にも登場しているが、このシリーズでレギュラーになった。最も強烈なのは、ぐーたら警察のメチル・アルコール警部で、登場する最初のコマを一目見ればもう性格が分かる……。
 このメチル・アルコールには相棒のネコと共に主演している(ついでにネコイヌも登場する)読みきり作品があって(『しかばねに愛を!』1971年)、物凄くヘヴィなキスをする女の子として登場しているのだが、この設定はそのままここでも受け継がれている。「メガネをかけた娘」を好む男性もけっこう多いらしいけれど、そうした現象(?)が一般に認知されるはるか以前に、このメチル・アルコールはメガネをトレードマークにしていた。この点、キャラクターデザインに先見の明があったと言うべきか。
 主人公を始めとして無国籍な名前が多く、動物が人間と対話し、未成年が学校へも行かず1人住まいでのびのび生活している。およそ現実から殆ど何の拘束も受けない自由な世界が、読者の眼前に展開してゆく。これぞまさしく「マンガ」の楽しさ。初期の吾妻ファンは作者の描くこういった夢の空間にすっかり魅了され引き込まれてしまったのだった。それは、読んでいて面白い、などといった冷静な感覚を通り越し、この世界に入り込んでその住人になりたいと願うような惑溺だったと思う。
 しかしこうした吾妻マンガの特性は、年月につれて変化し、また失われていった。この事は、同じジャンルの"探偵マンガ"である『チョコレート・デリンジャー』(1980-82年)において、犬や猫が人間と対等にやりあっているといった場面が一切無く、万事がかなり現実的になっている点を確認してもらえればご理解いただけるだろうと思う(もちろん、それはそれで良いのだ。このころ作者の自由さは空想の中ではなく、不条理という方角へ枝が伸び始めていたのである)。今になって振り返り、数十年のスパンで俯瞰してみると、作者が多様な可能性を持った創作者であることがあらためて感じられ興味深い。

No.2 どろぼうがいっぱい

23_7(少年チャンピオン 1971年7月26日号)

 仕事の無いエイト・ビート。ここ一週間ずーっとミミズのテンプラ(!)とかで糊口(ここう)をしのいでいる。おまけにそこへ「金だせ!!」と、どろぼうが入ってきた。着ている服まで盗られてしまったビートは犯人を追うが、途中でメチル・アルコール警部と出くわす。彼女の話では「最近とっても多いのよ」ということで、見渡せば街中どろぼうだらけ。「これはただごとじゃない 裏があるな」と、ビート探偵の推理が始まる……。

*美少年路線でスタートした(?)はずの『エイト・ビート』なのに、第2話にしてさっそく、主人公の顔はくずれっぱなしのギャグマンガとなってきている。トビラは映画、007号シリーズのパロディか。効果音の書き文字が一部アメコミ風のローマ字アルファベットになっていたり、若々しい試みも散見される。
(注:以下、あらすじと関係ありません)
 朝日ソノラマから単行本が出た時、その著者近影は、吾妻先生がドアの鍵をこじ開ける仕草をしているという構図でした。ところが後日、これを話題にして沖由佳雄さんが笑いながら先生に言いました、
「ありゃコソドロの演技ですか」
吾妻先生は答えて曰く、
「探偵だよ~!!」
 ……こういう調子で、恩師に向かって平気でボケをかます沖さんを見て僕は最初ハラハラしたのですが、あとで理由が分かりました。こういった茶目っ気を、吾妻先生はいつも許して下さり、決してお怒りになることは無かったのです。思い起こせば沖さんは、僕が喫茶店カトレアで初めて吾妻先生にお会いできた席においてさえ、似たような発言をしていました。何かのいきさつで、様々なアルバイトについて吾妻先生が話しておられた時、沖さんが微笑しつつ言ったのです、
「じゃあ、画家になれなかった人が(アルバイト感覚で)漫画家になるわけですか」
「なんちゅう事を言うんじゃ」
と、真顔の吾妻先生が低い声でおっしゃられたので僕は慌てたのですが、先生は、
「漫画家になれなかったヤツが画家になるんだよ!」
と一言。思わず緊張がとけ、笑ってしまった事を覚えています。
 80年代になると、吾妻先生の仕事場だった「無気力プロ」へはファンの人達が(別に原稿の仕上げを手伝うとかの用事でではなしに)寄り集まるようになったらしいですけれど、僕はその人達の気持ちが分かるような気がするのです。最初は皆、作品のファンとして来るのでしょうけれど、いつのまにか吾妻先生本人のファンにもなってしまうんですね。そもそもにおいて沖さんがその代表格で、吾妻先生が、
「あいつは俺の仕事場にすっかりなじんじゃって、独立しようとしないんだよ(笑)」
と嘆いておられた(?)ようですけれど(comic新現実vol.3 2005.2.6. p.22)、無理もないと思う。そんな吾妻先生がみんな大好きで、引き寄せられてしまったのでしょう。
 現在、吾妻先生はご自宅でこっそりと(?)執筆しておられるみたいですが、これはそのほうが安全だろうなと思えます。もし仕事場を賃借してそこで描く、といった形になったらさいご、きっとまた昔日と全く同じように、わらわらと人々が集まってしまうに違いないでしょうからね……。

No.3 スリル、サスペンスなんでもあり!

24_6(少年チャンピオン 1971年8月2日号)

 依頼主である満賀成金(まんがなりきん)の家へむかうビートとネコイヌ。しかし「三百円の木炭車」は燃料切れで停まってしまった。とにかくカネが無い1人と1匹は今回の大仕事にはりきっているのだが、迫り来る敵は何人もいるようだ。はたして高額の報酬を見事得られるのだろうか?

*作者が音楽青年としてカッコいい自画像でちょこっと登場している。シリーズ題名である"エイト・ビート"がそもそも音楽用語であり、この当時二十歳だった作者は趣味の延長にも近いような情熱を持ってこの作品に取り組んでいたのだろうか。
 木炭車というのは第二次大戦中に実在したけれど、むろん連載当時にはいくらなんでも使われてはいなかったはずだ。
 メジャーな"正義の味方"をもじったような"悪役"が登場したり、当時大流行していたボクシング劇画(のアニメ?)パロディがあったりと、若々しい遊び心もあふれている。

No.4 渚にて

25_6(少年チャンピオン 1971年8月9日号)

 「ちかん どろぼうに会ったら エイト・ビートへ」と書かれた大きな看板が出ている。海水浴場に出張してきたビートとネコイヌだったのだが仕事は来ない。その同じ海岸には、ぐーたら警察のメチルちゃんも相棒のネコと一緒に来ており、彼らはアイスキャンデーを売っているのだった。呼び止めてみれば「水着買う金ないからアルバイトやってんの」ということだったのだが。

*メチルちゃんの服装がいかにも当時らしいそれで楽しい。1コマ登場しているアシスタント氏は独特の髪型で、もしやこの人がエイト・ビートのモデルなのではと思わせられるも定かではない。

No.5 ダーリン殺人事件

26_6(少年チャンピオン 1971年8月16日号)

 机上の電話が鳴った。ビートが出てみると、殺人事件らしい! 現場である舎川マンションへ駆けつけたら男が倒れており、女はそばで泣くばかり。その女に事情をきいたところでは、浮気している所へ彼女の夫がやって来て、男を撃ったようだ。女の恋人は他にもおり、そちらの命も危ないらしい。
 そこへぐーたら警察のメチル警部もやって来た。連続殺人の発生を彼らは阻止できるだろうか?

*わずか16ページのギャグマンガながら、物語の構成はけっこう緻密なようだ。ちょうど中央(9ページ目)で犯人が突然出現してヤマ場および折り返し地点となっていて、後半は解決に向けての急展開になる。犯人が戦法を変えてくることで不意を付く危機が訪れ、いかにもギャグマンガらしい方法でこれに立ち向かう。そして意外なオチ。実にうまくできている(そして、笑って読んでいるとそのような設計には全く気付かされない事も演出として巧みだと思う)。
 台詞にある「ローハイド」は日本でもTV放送されたアメリカ西部劇のシリーズ("RAWHIDE" 1959-1966)題名。また「マンガ少年」という台詞は連載当時「少年チャンピオン」になっていたのではないかと思われるのだが、最初の単行本はその版元である秋田書店ではなくて朝日ソノラマであったため、そこが発行していた雑誌名に書き換えられたのではあるまいか? マンションの名称などがいやにちゃんと書いてあるのだけれど、モデルになった建物が実在したか等の詳細は不明。

No.6 えー、探偵屋でござい

27_6(少年チャンピオン 1971年8月23日号)

 仕事にあぶれているビートとネコイヌ。「えー 探偵~ 探偵のご用はありませんか」と呼びかけを続けるも人々からはうるさがられ叱られるばかり。落胆してその場を去ったら、道端で物乞いをしている美少女を見かけて「オレたちまだいいほうな」とつぶやくのだった。しかしその美少女「野ネズミのナンシー」に、莫大な遺産がころがりこんで……。

*「娘さん なんで こんなことを」
「ま かんけつにいうと あれよ ベートーベンの第五」
「あ 運命!!」
などと小粋な会話も楽しく、若い作者のセンスが光る。ナンシーは『二日酔いダンディー』でレギュラーだったキャラクターと同一人物か。

No.7 血の収穫

28_6(少年チャンピオン 1971年8月30日号)

 月夜のもと、墓が開いて吸血鬼が現れた。ちょうど夜のデートを楽しんでいたビートとメチルは、犠牲者が出た現場の第一発見者となる。犠牲者はその後も続出するがいずれも美女ばかりで、メチルは決然と立ち上がるのだったが。

*今回ビートは女装して、本物の女であるメチルから「ビートくん女装もステキよ」と褒められている。これは主人公のビートがそれだけ「かわいい少年」だからで、こうしした栄誉(?)を作者から与えられた主役キャラクターは、繰り返し言うようだがエイト・ビート以外にいないと思う。ビートのこうした私服(?)も珍しければ、メチルもまた珍しく婦警の制服(だろう)で登場している。
 「グアム島」うんぬんの台詞があるのは、この当時になってようやく海外旅行というものがぼくら庶民にも手の届くリクリエーションとなり、人気のある渡航先がここであったらしいゆえか。
(注:以下、雑談です)
 冒頭で、墓石には"AZUMAHIDEO"とあり電話番号も書いてある。僕はこの番号がもしや吾妻先生の自宅ナンバーなのではと考えて、一度かけてみようかと思っていた(しかし実行はしなかった)。それを沖さんに話したら、
「いや、あれは担当さんの番号だったみたいだね」
とのお返事。この電話番号、単行本ではさすがにホワイト修正が入り、読めなくなっているようです。

No.8 大銀行強盗作戦

29_6(少年チャンピオン 1971年9月6日号)

 空腹で街をさまようビートとネコイヌ。ここんとこ仕事が無くて、ずっと食っていないのだ。出くわしたメチルちゃんに借金を頼むも断られ、
「だいたい探偵なんて非生産的仕事でかせごうなんてぶっといんだよ まじめに働きな」
と言われる。
「やむをえない エンヤコラでもやるか」
募集の貼り紙を見たネコイヌは決心し、ビートたちはこれに応募してみるのだったが。

*トビラで「岡林くん」とあるのはフォーク歌手の岡林信康らしく、歌は『山谷ブルース』(1968)の出だし部分か。ビートが「お ニヒル!」と感心している台詞があるが、これはもしかすると洋画コメディからのパロディかも知れない?

No.9 まだらのヒモ

30_6(少年チャンピオン 1971年9月13日号)

 メチルちゃんが探偵事務所へ遊びに来てみたら、ビートくんは真剣に読書中。本は『シャーロックホームズの冒険』だった。そこへ依頼者である若い女性、美恵(みえ)が来る。彼女の話を聞いてみるとその内容は……。

*コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle KBE)による「まだらのひも」(The Adventure of the Speckled Band)のパロディ。元ネタが有名な話であろうだけに犯人は前半であっさり解明されており、後半に吾妻オリジナルの"ひねり"がある。
 ビートくんが「チカラでもオツタでも」と言っているのは、泉鏡花の『婦系図(おんなけいず)』に登場する主役2人の名前にひっかけたダジャレらしい。
30a トビラは単行本化による描き下ろしではないかと思われ、単行本第1巻の中表紙に用いられているのが雑誌連載時のトビラだったはずだ。

No.10 モーレツスパルタ呪いのキャンプ

31_6(少年チャンピオン 1971年9月20日号)

 メチルちゃん率いる、ぐーたら警察の一行が合宿に向かう。ビートとネコイヌはそれに加わっていたが、サボっていて奇妙なウワサを聞かされた。苦労続きの合宿にもやがて静かな夜がおとずれる、しかし……。

*前半で男どものふがいなさが描かれているぶん、後半での彼らの活躍が対比によって引き立っている。台詞だけでトリックの解明がなされるあたりは弱点になっているかと感ぜられるものの、全体の構成には巧みな計算があるようだ。部下の1人は『二日酔いダンディー』の主人公にそっくりな容姿であるが詳細不明(ダンディーは警察へ就職したのだろうか?)。
31a トビラは単行本化による描き下ろしか(単行本第2巻の中表紙に用いられているのが雑誌連載時のトビラだったと思われる)。

No.11 独裁者の興亡

32_6(少年チャンピオン 1971年9月27日号)

 学校。エイト・ビートは転校生となり、学生服を着てひとり教室にいる。実はこれ、校長から依頼され潜入しているのだった。「うちの生徒どもときたらろくでもない不良ばかり」なので「やつらの根性をなおしてやってください」というのだ。しかしビートの行動は、いったいどういう考えなのやら、まるで逆の方向に暴走してゆくばかりのようなのだが?

*意外な戦略で事を進めているのが楽しい。オチで、逆転に更に逆転があるなど、演出も凝っている。劇中の「GOGO(ゴオゴオ、とルビがふってある)」は、当時に流行していたダンスの名称。「となり町の似久村(にくそん)中学」という台詞は、この頃のアメリカ大統領の名前(Richard Milhous Nixon)をもじっているらしい。

No.12 チクタクチクタクドカン

33_6(少年チャンピオン 1971年10月4日号)

 「ひまだから女ひっかけよ」と決めたネコイヌ。人間の女性に声をかける(!)もうまくいかず、次にシャム猫をポルノ映画に誘う(!)のだがコケにされる。怒ったネコイヌはシャム猫を追いかけるが、その飼い主である少年は爆弾を作る趣味があった……!

*爆弾によるテロは日本でも本当に起きたが、それは1974年8月頃の事件で、このマンガと直接関係は無いだろう。ビートくんが読んでいる『キャッチ22』(CATCH-22)というのはジョーゼフ・ヘラー(Joseph Heller)の小説で、その映画は1970年に公開されたようだ。台詞にある「サイコパス」という語は単行本化に際して置き換えられたものと思われる。

No.13 それでもがんばるお花ちゃん

34_6(少年チャンピオン 1971年10月11日号)

「うちは花ちゃんどす 先生のでしにしてもらいにきました」
 熊本から歩いてきたという、何とも野暮ったい服装の少女がエイト・ビートの事務所にあらわれる。これがバレたらメチルちゃんが嫉妬に狂うのではと心配するビート。そこへやって来たメチルちゃんはしかしてんで気にする事もなく、
「探偵なんかより婦人警官にならない?」
と、引き抜きを始めて……。

*花ちゃんという少女の髪型が独特。髪の先端が左右ともピンと跳ね上がったその形状は、現在連載中である『便利屋みみちゃん』のヒロインの髪型をほうふつとさせる。ラストでシュールフィッシュ(フキナガシ)が読んでいる本の表紙には「サンペ」とあるが、もしかするとこれはフランスの漫画家、ジャン-ジャック・サンペ(Jean-Jacques Sempé)のことであろうか。

No.14 ム! 公害レース

35_5(少年チャンピオン 1971年10月18日号)

 世界で初めての無公害車レースが開催された。車による公害をなくそうと日本じゅうの企業がたちあがった良心的なレースだという。排気ガスや騒音を出すふつうの車は使えないので、各社いろいろ工夫をこらしている。ビートとネコイヌは賞金目当てでこのレースにもぐりこむのだが、会場にはレースの妨害をたくらむ謎の人物がいた……。

*「今回はちょっと教育的すぎたかな?」と最後のコマで作者がひとりごちている。当時の首相(佐藤栄作)の似顔絵らしき人物も登場したりして、やや大人むけの渋みも。いっぽう、中継をするイエローレモンアナ(名前からして落合恵子がモデルか?)は泣いているみたいな笑顔が可愛く色っぽいキャラクターで、雰囲気をソフトにするのに貢献しているようだ。空を漂う魚が「フキ流しさん」として彼女により紹介されている。
(扶桑社文庫『エイト・ビート 1』は、ここで終わっている。)

No.15 コンクリートジャングル

36_5(少年チャンピオン 1971年10月25日号)

 ものものしい雰囲気の車でやってきて、男はいきなり部屋に入る。
「けーしちょー少年課の者だ」
「?」
「エイト・ビート きみをたいほする」
そのあと、ぐーたらけいさつのメチルちゃんも捕まってしまった。話をきいてみると、
「きみたちのように保護者のいない子どもは国がめんどうみることになってますので もう探偵や警官はやめて学校へいきましょうね」
とのこと。かくてビート、ネコイヌ、メチルの2人と1匹は『私立青尻学園』へ入学させられて……。

*担任の女教師がいやに写実的な顔の美人で目を引く。「まだテストなんてものがあったのか!?」といった粋な台詞に作者の若々しさが出ているようだ。「ありがとござまーす」というのは外人俳優が出演(内海賢二が吹き替え?)した入浴剤CMのパロディか。ほかにもいろいろ当時の雰囲気が伝わってくる要素が発見できる。最後のコマでは作者の作曲によるらしい楽譜が掲載されており、たいへん短いが貴重だと思う。このころの作者自画像は毛先が顔の左右ではね上がっており、『便利屋みみちゃん』の髪型に似ている?

No.16 あさってにアタック!

37_4(少年チャンピオン 1971年11月1日号)

 インチキで体育の授業をサボり、女子のバレーボールを見に行くビートとネコイヌ。するとコーチが嘆いている、「あしたは全国大会だってのに」女生徒たちはまるっきりメチャクチャなのだ。「このエイト・ビートが力になりましょ」と名乗り出ると、コーチはまかせてくれた。「確実に勝ってしかもお金がもうかる」と、ビートは断言するのだが。

*いったいこれからどうなるんだ? と思わしめる、先の読めない巧妙な展開が見事。擬似科学考証(?)があるあたりSF色も含んでいると言えようか。「小学生とは思えぬ」という台詞があるのだが、これからするとビートたちは小学生として入学しているのかも知れない?

No.17 誘かいごっこ

38_4(少年チャンピオン 1971年11月8日号)

 「あーあ学校なんてやだなァ」と嘆きつつ、メチルちゃんがセーラー服に学生鞄といういでたちで街をゆく。「一見金持ちの令嬢ふう」と判断された彼女はギャングに誘拐されてしまった。身代金を要求する手紙がビートくんのもとへ届きネコイヌと共に大慌てするが、他の人たちは「これでメチルのツラ二度と見なくてもすむわい」と大喜び。「ぼくたちだけでなんとかしなくちゃ」とビートおよびネコイヌはたちあがるのだったが。

*手紙にある「勝時橋二丁目」というのは東京都中央区の勝どき(勝鬨橋(かちどきばし)という橋がかかっている)のもじりか。外国のアクション映画みたいな場面の続く展開がいかにも探偵ものらしい雰囲気をかもし出している回。

No.18 さすらいビート

39_4(少年チャンピオン 1971年11月15日号)

 風吹きすさぶ山道を行くビートとネコイヌ。「やっと学校は逃げだしたものの」連れ戻されないようひたすら遠くへ行かねばならない。「メチルちゃんにだまって逃げたからおこってるだろうな」と気にはなったが、とにかく家を1軒見つけたので入ってみる。するとそこの娘が山賊のような男に連れていかれようとしているのに出くわして……。

*チェックのハンチングにインバネス(? ケープが付いているようなコート)と、どこか英国風のファッションで登場するビートだが、このあとメチルはアメリカ西部劇風の格好で出てくる。こうした無時代無国籍性こそは、若き日の吾妻マンガの強烈な魅力のひとつだった。意外な戦術で敵に勝つビートの活躍が笑えるし、また、かっこいい(いや、本当に)。

No.19 怪盗アナクロ登場!

40_3(少年チャンピオン 1971年11月22日号)

 飛行船を使い、なんとも古めかしい装束の男がビートの事務所上空へやってきた。「怪盗アナクロ」と名乗る彼はビートに「女優はだれが好き?」とたずねる。「丘崎ユキってとってもカワイイの」と答えたら、なんと彼女を誘拐すると予告。
「そんなことさせるか~!!」
「止められるなら止めてみろ」
かくてビートと怪盗アナクロは対決することになり……。

*「空からとつぜんゴメンナサイ」というのはパンティストッキングCMのパロディか。「LEDZEPPELI…」とあるのは英国ロックグループの名称と思われる。トビラの美女は岡崎友紀による『なんたって18歳!』(1971年9月~)の似顔絵キャラクターらしい? 「上野」というのは東京都台東区(動物園がある)に実在する地名。

No.20 冒険者たち

41_3(少年チャンピオン 1971年11月29日号)

 「ビートくん ひまだから遊ぼうぜ」とメチルちゃんがやってきたら、「ぼくもまぜてよ~」と怪盗アナクロが現れた。メチルは彼を面白がって「どろぼうも探偵も警察もない みんなひまつぶしに世間を騒がすのだ!」と決心してしまった。結局、メチルが筋書きを考えて"予告怪盗アナクロ事件"が発生してしまう……。

*時おり劇画ふうのペンタッチになり、そこがなかなかカッコいい、実験的な一品。ビートもクライマックスに美少年路線(?)で登場。くどいようだがエイト・ビートは、「かわいくてかっこいい」側面を持つ、初期の吾妻マンガならではの特異な主人公だったのだ。

No.21 シッパイスパイ

42_3(少年チャンピオン 1971年12月6日号)

 最近、青少年の犯罪が多い。どうも不良のグループがだいぶあるようだ。そこでメチル警部は不良どもを一網打尽にするためスパイを潜入させた。それを引き受けたのが他ならぬエイト・ビート。どうにか作戦は滑り出し、美少女リーダーが率いる『いちゃもん団』に接近できたのだったが。

*「スケバン」という言葉がこの頃に登場したようで、同名のルポルタージュ書籍なども出版されたことがあると記憶する。そうした世相の反映であろうか(ちなみに60年代日本では不良娘を俗に「ズベ公(こう)」と呼んだようだが、70年代になるとこの呼称は消滅したものと思われる)。リーダーの美少女の名前は劇中に出てこないため不明。

No.22 ああ少年探偵団

43_3(少年チャンピオン 1971年12月13日号)

 少年探偵団をつくったという子どもたちが、「ビート先生」に教えを乞うべく事務所をたずねてきた。ビートは感激してはりきるが、どうもこの子どもたちにはクセがあるようだ。さんざん苦労して教えるビートだったけれど、生徒達はおかしな方向へ上達してしまい……。

*子供が純真だなどというのは残念ながら幻想だとばかりに、シニカル(皮肉っぽい)な喜劇が展開する。やはり劇画風のかっこいいコマがあって、他の部分との対比により相互の強調を演出している。

No.23 霧の国より

44_3(少年チャンピオン 1971年12月20日号)

 イギリスはロンドンから外国郵便がきた。「世界探偵連合パーティー」への招待だ。大喜びでビートとネコイヌは旅立ち、メチルちゃんもついてきて、どうにか会場に到着。しかし会ってみたら有名な探偵たちはなんだか情けない人ばかり。おまけに会場では事件がおきて……。

*出てくる「ベルギーパン」というのはワッフルの事だろうか。「ハニー・バスト」ほか有名探偵のパロディ名がいろいろ登場。「千夜一夜」は虫プロによるアニメ映画(1969年制作)の題名らしい。「ポンドすってる」というのは、シンナーなど揮発性の薬品を吸う行為を当時の不良少年らがおこなっていたことにひっかけているようだ。

No.24 殺し屋ですよ

45_3(少年チャンピオン 1971年12月27日号)

 「エイト・ビート探てい事ムしょ」のとなりに、誰か引っ越してきた。見ると看板があって、「殺し引き受けます! その道10年・殺し屋ヒック」と読める。「殺し屋だと! よりによって正義を守るエイト・ビートのとなりに!!」びっくり仰天して怒鳴り込むのだが、どうにも歯が立たない。やむなくメチルちゃんに応援をたのむのだったが。

*まるでなすすべも無く絶望的な窮地に陥るビート。しかしクライマックスでは彼の活躍(?)で解決にむかい、ちゃんと"主人公"の役目を果たしている。「カンチョーフラッシュ」というのは、『テレビはこれだ!ドラマが3つも』という番組(1971年10月17日~12月26日の全10回放送)で堺正章が演じたアクションであるらしい。

No.25 雪の日の物語

46_3(少年チャンピオン 1972年1月1日号)

 雪降る中、1人の幼い少女が花束を前に涙ぐんでいる。まい子かと思ったビートとネコイヌが声をかけると、「お花が売れ残っちゃったの……全部売って帰らないとおばさんにしかられるのよ」とのこと。彼女の不幸な身の上にもらい泣きするビートとネコイヌ。おまけに父親は「無実の罪でムショ入り」だという。「よし このエイト・ビートがなんとかしてやろう まかしときな」と、行動を開始するのだったが。

*(以下、長たらしい作文でごめんなさい、「あらすじ」とは直接関係無いです。)
 かわいそうな少女、というところに父性愛(?)をくすぐられるのか、主人公はあっさり事件に巻き込まれてしまう(そしておそらく読者の少年達も、物語の中へ引き込まれてしまったのではあるまいか)。どことなくアンデルセン(Hans Christian Andersen)『マッチ売りの少女』(The Little Match Girl)等を連想させる回になっている。こうした、父性本能(?)だかカタルシスだかにうったえる要素はしかし、このあと吾妻マンガで滅多に見られなくなってくるようだ。
 考えられる理由はいろいろある。
 編集部の意向で『ふたりと5人』以降、エッチ路線を主力武器とする作風へ強制変更があったこと。
 TVアニメ化されて吾妻マンガを世間により広く知らしめた2作品(『オリンポスのポロン』『ななこSOS』)がいずれも少女を主人公としていたこと(だからヒロインたちが「母」性本能で心を揺さぶられる事態は生じ得ても、少年である読者はそこに同調して感情移入するのは少し難しい)。
 吾妻マンガといえば美少女、といった認識が世に定着して(?)女性の主人公が多くなった(ような気がする)こと。そしてそれによってヒロインたちが読者の憧れの対象にはなりやすくなった一方で、少年読者たちの分身として考え、感じ、読者に代わって行動する点での限界を宿命付けられたこと。
 のちに吾妻作品のキーワードとして作者も読者も認めるようになるSFの領域では、この種のドラマ性は敬遠されがちなのではないかということ(これは僕の先入観かも知れないけれど……)。例えば日本SF界の大物たる野田昌宏は自著『スペース・オペラの書き方』で、「この現実は悲しい事ばかりなのに、このうえアンデルセンのような悲しい物語を読みたくはない」という趣旨の発言をしていたように思う。
 そして、これも後に吾妻マンガの主成分のひとつとして鮮明になってくる不条理ギャグにおいても、感傷的な要素が敬遠される点は同様なのではあるまいか。
46b ともあれ、凡庸な読者である僕などの目には、吾妻マンガでSF色や不条理色が強くなってゆくのに反比例して、作品が少しずつ、何かこう「ドライ」になってゆくような印象を受け、心を自ら真空にした登場人物たちが顔だけ笑っているみたいに見え始めて寂しく感じたのだった。吾妻ひでおが「かわいそうな女の子に父性愛から同情する」といった物語要素を好む創作者であるかどうかは不明だが(当ブログにおいて既述のとおり、1981年の作品『ハイパードール』でもセンチメンタルなエピソードは登場している)、そうした色彩が濃く出ている点は、初期の吾妻マンガにおいて注目できるのではないだろうか?

No.26 ガードマン守る人

47_2(少年チャンピオン 1972年1月10日号)

 デパートで、万引きよけガードマンとして雇われたエイト・ビート。常連万引きでもっとも手ごわいのは「三白眼のメリーちゃん」なる美女らしい。「万引きの一匹や万匹」とナメてかかるビートだったが、お尋ね者の女はさっそく出現した……。

*パイ投げ合戦の場面は米国喜劇映画のパロディか(日本だと当時、そもそもパイというものが今よりももっと普及していなかったと思われる)。

No.27 小脱走

48_2(少年チャンピオン 1972年1月17日号)

 「銀行強盗 三百万 かっぱらう」というニュースがある一方で、ビートたちは三十円のラーメンを作って食べている。「生活に差がありすぎるよな」とこぼしていたら、事務所へ1人の男がやって来るや、死んだ。殺人を犯したと誤解されたビートはメチルちゃんに逮捕されてしまい……。

*ビートが「スティーブ マックィーンみたいにさ」と語る台詞は、『大脱走』(The Great Escape 1963年)という戦争映画のことを指しているものと思われる。「モデルガン」というのは亜鉛合金など金属製の玩具(実物大またはほぼ実物大の模型)で、あまりにも本物の銃そっくりなためしばしば悪用され、1971年に法律で製造と所持に部分的な規制がなされたもの。カッコいい場面もあるのに、メチルちゃんには全くかなわず逆に泣かされるビートがなんともかわいらしい。

No.28 みんなで遭難

49_2(少年チャンピオン 1972年1月24日号)

 メチルちゃん達ぐーたら警察の一行がスキーロッジへやってくる。スキー場のどろぼうタイホにと呼ばれたのだった。荷物運びとしてビートとネコイヌも同行している。雪が積もるとスキーヤーたちがおびただしく集まり、そして泥棒もやって来た……。

*毎度毎度さんざんな目にあっているビートだがこのお話はその極めつけという感じ。しかし、女であるメチルちゃんを守ろうと必死になるのが(本分である「探偵」としての活躍とはちょっと違うとしても)実にけなげ。ビートくんには気の毒だが、大笑いできる回になっている。

No.29 不滅のビート

50_2(少年チャンピオン 1972年1月31日号)

 ビートくんが卒業した探偵学校の先生、江戸川乱走(えどがわらんそう)から手紙がきた。一度遊びにこいという。「あいかわらず貧乏してるんだろうな」と出かけてみたら、いつのまにかそこは大会社となっていた。うちのめされてみじめになったビートに先生は、「よかったらうちで働いてみんかね 人手が足りなくてね」と言うのだった……。

*これが最終回。主人公ビートが人生に悩むくだりは、コメディとはいえ現実の問題をうまくとらえていると思う。
 実をいうとメチルちゃんには後日談(?)があり、『ネムタくん』では成人した(!)彼女とおぼしき婦警が登場する回がある(『鬼よりコワ~イ婦警さん』(1977年)など)。はたしてビートはメチルちゃんと結ばれたのかどうか? これはこの作品が読者に推理をゆだねている「謎」といえるかも知れない。
(扶桑社文庫 『エイト・ビート2』は、ここで終わっている。)

はじめに(1)

05_9 『きまぐれ悟空』は週刊少年チャンピオンで1972年に連載された作品だ。題名からすぐ分かるとおり『西遊記』のパロディで、その点からすればこれは長編とみなす事ができるだろう。吾妻マンガにおいて長編という形式は珍しい。とはいえ複数の読みきり中編が集まって全体をなすという構成であるため、他作品から著しくかけ離れた印象は無く、とっつきやすいコメディになっていると思う(画像は扶桑社文庫版(1996年)の表紙だが、この表紙イラストは吾妻オリジナルではなく「すら★そうじ」によるもの)。
 この作品の企画がどのような過程を経てまとまっていったのか作者自身「あんまり覚えてない」らしいが、「編集のアイデア」で出発し「描く時になると好きなようにや」ったのだとか。編集からアイデアが出るようになったのはこの『きまぐれ悟空』から以降であるらしいが、作者はこれを「結構好きな作品」だと語っている(『逃亡日記』p.142~)。
 編集がなぜ『西遊記』の翻案を思い立ったのか分からない。回顧すればこの年(1972)に中国ブームが起きたのは確かだと思うのだが、日付を調べてみるとそうした潮流は『きまぐれ悟空』連載よりもたぶん後なのだ。ちょっと史実をふりかえってみると以下のような順序になる。
・2月14日(号)『きまぐれ悟空』連載開始
・2月21日   ニクソン米大統領、訪中
・2月27日   米中共同声明
・7月10日(号)『きまぐれ悟空』連載終了
・9月29日   日中共同声明調印
・10月28日  パンダ2頭、日本へ贈られる
 『西遊記』は日本人なら小学生でも知っている古典であり、また冒険譚の金字塔でもあって、手塚治虫をはじめとする漫画化作品も前例がある。編集部は児童向けマンガの企画として無難なものをと考えこれを選んだのだろうか。しかし世情を今になって考えるに、もしも(というような仮説は無意味かも知れないけれど)『きまぐれ悟空』連載開始があと半年ほど後であったなら、パンダをシンボルとして日本中を席巻(せっけん)した中国ブームの波に乗り、この作品の人気や知名度はだいぶ違ったかも知れないという気がする。作者には、そのような便乗人気なんぞ願い下げだ! と立腹されそうではあるが、『きまぐれ悟空』のファンとしてはこの点が少しくやしいのだ。一方、そうならなかった(ことによって「こっそり独り占め」みたいな幻想を懐くのが可能となった)のを嬉しいと思う気持ちもある。前置きが長たらしくなって恐縮ではありますけれど、明日は、個人的な思い出について書かせて戴きたい。

はじめに(2)

Medusa01 (注:今日これから書く事は『きまぐれ悟空』にまつわる個人的な思い出で、作品の内容には関係ありません。資料的価値とかも全然無いです、あらかじめ警告とお詫びを申し上げます……。)
 『きまぐれ悟空』が連載されていた1972年当時、僕は中学生でした。この作品へののめり込みは相当なものだったのですけれど、その主要な原因はどうも、レギュラーの女性キャラクター「観音さま」にあったのです。
 個人差はあるでしょうけれど、中学生というとまだ子どもの延長みたいな部分が精神面にかなり残っているようで。だからか当時の僕にとって「観音さま」は、紙に描かれた単なる絵ではなく、なんだか凄く実在感がありました。
 そもそもマンガの読み方からして、子どもと大人では全く違うような気がする。すらすら読んでしまう(ていねいに読んでゆくとしても、作品を分析するような読み方になる)のが大人で、子どもはそういう読み方をしない。1コマずつじっくり、完全にその世界のなかへ自分が入ってしまって読んでるんじゃないでしょうか。大人の読者はフキダシの台詞を「読んで」いるかも知れないけれど、『きまぐれ悟空』読者の僕は、なんていうか、台詞を「聞いて」いたような記憶があるんですよ。各キャラクターが喋っているのを自分の耳で直接聞いているみたいな気分がしてた。そんな調子で1コマずつ、目で絵を追ってゆくうちに、やがて、各キャラクターにはちゃんと「体温」があるように思えてきて。観音さましかりで、その胸のふくらみには、さわったら優しい弾力があるかのように見えてきたのです。だから大きいコマで観音さまが描かれていると、僕は指先でそっと彼女にふれてみたことさえあります(このへん今自分で書いていて、情けないような薄気味悪いような気持ちになるのですけれど……)。
 マンガの読者もここまで重症になると、さらなる泥沼が待っているのでした。僕はマンガの本を閉じた後、自分が生きている現実の空間の中でも彼女、「観音さま」の姿を探すようになってきたのです。金髪ロングヘアにパンタロン、といった若い女性がTVや映画に出てくると「あっ! 観音さまみたいな人だ!」と思ってしまうありさまで。連載終了後ほどなくしての事だったでしょうか、中国バレエの映画で『白毛女(はくもうじょ)』という作品が公開上映された時はそうした理由から吹っ飛んで観に行き、街角に貼られていたポスターをはがして盗んだり(おいおい!)していました。
 とはいえそんな調子でバカさの限りを尽くしていると、もうそれ以上は出来る事が何も無い、という限界がついには来る。そして、何をやっても無駄だという事を自分でも認め、受け入れるんですね。「なぜ観音さまはこの世にいないんだ」そう思うと涙がこぼれたような記憶があります。ハハハ……幼稚な少年だったもんで。
 読書による代償体験というのはむろん、結局は幻想に過ぎないのでしょう、そのあと僕は現実の女の子とのなんやかやで、「事実は小説より奇なり」という、この世がいかに複雑精緻であるかを徹底的に思い知らされるのでした。青春ってこんなものなのでしょうかね。そして、マンガの読み方もそのあと、全く大人のそれへと変化していったような気がします。
 それでもやはり、振り返ってみると全ては自分にとって、あれも本当に「恋」だったんだろうなと思うんですよ。なんとか少しでも観音さまに近づきたい一心で中国文化全般に興味関心を懐くようになり、NHKの中国語講座を毎回観たり(けっきょく習得はできなかったのですけれど)、『西遊記』のジュヴナイル版や原作をひもといたりまでしてましたもんね。『金瓶梅(きんぺいばい)』なんて小説があることもこの時に知って……あ、それはまた別の話ですけど、あのころは何を読んでも頭の中でそれが吾妻マンガの絵になってしまってましたねえ。だからなおさら興奮しちゃって……って、まあそれはいいんですけど。
 そこまで「いっちゃってる」僕みたいな読者はほんの一部だけだったかも知れない。全ては、子どもじみた狂気、とでも言うべき熱病だったかも。しかしそれはそれで、幸せな日々だったなと正直思ってるんですよ。なぜって、あんなふうにマンガを読み、楽しむことは、もう今となっては、しようったって出来ませんからね。
 なにはともあれ、この『きまぐれ悟空』という作品には、読者たちをそんなふうにおかしくしてしまう力があったのです。ああ、それにしても当時に吾妻先生とお会い出来なかったのは幸いでした。作者にとってイカれた読者ほど迷惑なものはないでしょうから(現在の僕も大差なかったりして)。
 朝日ソノラマ版の単行本表紙(1987年)以来、どういうわけか吾妻先生は観音さまを全く描いてくださいません。正直これはとても恨めしい。その一方、自分だけの思い出として観音さまをこっそり独り占めできているみたいな気持ちもあって、複雑なところです。仕方ないのかなあ、なにしろ普通の女性じゃないので「迂闊(うかつ)なイラスト描くとバチがあたる」とか、編集さんあたりからクギをさされているのかも。わかりました、僕もその方針に服させていただきましょ。ここでは観音さまは自粛して、悪役であるメドーサの似てない似顔ぬり絵をふろくにつけて、今日の作文はおしまいです。gif形式にしてありますので、bmp形式とかで保存し直して遊んでくださいね。彼女の装束はチャイナ服とか呼ばれるものの一種かと思いますが、これ、正しくはチーパオ(旗袍)と言うんですよ。どうです、詳しいでしょ。
Medusa02

悟空誕生の巻

11_9(少年チャンピオン 1972年2月14日号)

 変なこともあるもので、タマゴからサルが生まれた。「せめて人間くらいには生まれたかった」と嘆く彼は、「タマゴから生まれたタマゴザル」とからかわれ、仲間による差別を受ける。やがて歳月は過ぎ、ある日「アリンコが死んでる」のを見た彼は、突然ひどい衝撃を自覚するのだった。「ぼくもやがてアリンコのように死んでゆくんだ 生きるなんてあっというまのことだ」そうひとりごちて泣く彼を見て、年老いたサルが興味深い話を聞かせてくれる、「海を渡ったずーっとあっちの都会には 空を飛び変化(へんげ)の術を使う仙人がいるそうじゃ そいつらは不老長寿 いつまでも生きられるということだ」。これをきいて意を決した不思議なサルは、仙人と会うべく故郷をあとに旅立つのだったが……。

*序章を成すこの部分は24ページある。パロディとはいえ原作の設定等を最低限は踏襲せねばならぬため、ナレーションや説明台詞が多くならざるを得ないところを、うまく読みやすくまとめてあると思う。コマによっては背景がかなり細密に描き込まれており、読者の住む現代日本とはかけ離れているこの物語の世界へ入ってゆきやすいように配慮されているようで楽しい。
 多数をもってあるべき標準となし、それから外れていると"和を乱す"者、"異常な"者として排斥(はいせき)されがちなのは世の常であろうけれど、「そうした者こそむしろ、貴重な逸材(いつざい)かも知れぬではないか」という逆説が込められているように感ぜられる。こうしたテーマは吾妻マンガにおいて地下水脈のようにところどころでその根底に流れていることに気付かされる要素ではないかと思う。

悟空いろいろ大あばれの巻

12_8(少年チャンピオン 1972年2月21日号~3月6日号)

 仙術を会得して故郷へ帰った悟空は、サルたちの英雄また指導者となる。だがそれによって彼の慢心が始まった。海の底にある竜宮デパートへ行ったさいに"キンソウ棒"を見つけた悟空は、それをイタズラして大暴れのあげくに自分も死んでしまう。ところが地獄でエンマに会うや、勝手に細工し、あっさり生き返ってこの世に戻ってくるのだった。それらやりたい放題の乱行はとうとう、異次元に住む神、天帝のもとへ知らせが達する……。

*ここではほぼ原作にならい、悟空が罰せられ、三蔵のお供となって天竺へ向う運命となり、旅の仲間になる沙悟浄や八戒と出会うまでが描かれている。細部には、悟空の年齢が12才とあることの他、当時の流行やニュースにからめたギャグやパロディがみられるようだ。「チョト待テクラサーイ」(ゴールデンハーフの歌から)、ターザン(? TV化された番組が日本でも放送された)、ミノベ(元東京都知事の美濃部亮吉)、二十八年(元日本兵の横井庄一さんら発見救出)、「毛のないエテ公」(岡林信康の曲名)、ヤクザ映画、中国ブーム、五行山(ある人物の横顔?)などにそれがある。
Kannnon04 単行本では「コロヒシヤハ! ンヤチスネグア!」という呪文があるが、初出の雑誌掲載時では「リオサキユ! イフイフ! ンヤーオ コキアダワ!」となっていたようだ。これは歌手の由紀さおり、欧陽菲菲、和田アキ子らの名前を逆さまにしているものと思われる。ちなみにこの時(1972年2月頃)、林寛子はまだそれほど有名ではなく、アグネス・チャンは日本デビュー(1972年11月に「ひなげしの花」発売)前だった。

 さて……僕の思い入れは別にしても、やはり一番気になるのはこの部分で登場している、観音さまについてではないかと思う。
(注:以下、単なる個人的な思い出とかが混じっています)
 たしか喫茶店カトレアで、吾妻先生、沖由佳雄さん、そして僕が同席させて戴いていた時のことです。沖さんが、「観音さまは最初ナ●ョナルの蛍光灯を後光にしょって出てくる」のだと教えて下さいました(この時まだ『きまぐれ悟空』単行本は発売されておらず、僕はその部分を読んだことが無かったのです)。僕が非常に興味深く思って身を乗り出すと、沖さんは「ですよねえ?」と、吾妻先生のほうを向かれました。僕も思わず吾妻先生を見たのでしたけれど、なぜか先生は無言無表情のままだったのです。それゆえ、大変残念ながらこのくだりについて、先生から直接お話をうかがう機会はありませんでした。
11bosatu 単行本では蛍光灯の後光をしょって登場する黒髪の女性キャラが「菩薩さま」となっており、刑務所の場面でいきなり空中から出現する金髪の女性キャラが「観音さま」と(このあと最後まで)呼ばれています。はたして"同一人物"なのかどうか? 髪の色と服装が違うのは一目で分かりますけれど、髪型も(「観音さま」は耳の前、鬢(びん)の毛先が肩にかかる長さで)少し異なるようです。
 (「キャラクターデザインが急きょ変更されたため齟齬(そご)をきたしたのだろう」というのが、おりこうさんな判断かも知れません。でも、ファンというのはおろかなもので、そういう冷静な考え方ができないんですよ……お話の世界が壊れちゃうように感じてしまい、どうしても抵抗あるんです。笑われてしまいそうだけれど、ちょっといろいろ考えさせて下さいな。)
Kannon02 幸い、当時の週刊少年チャンピオンを調べることができました。くだんの台詞は初出だと「観音菩薩さま」になっているのが分かります。単行本化されるにあたり、台詞の修正が行なわれたようですね。前述した、沖さんと僕のやり取りを聞かれた吾妻先生が「これはイカン」と思われて修正になった……のかどうかは不明ですけれども。何はともあれ、この黒髪のお方の初登場はその掲載誌、1972年2月28日号のトビラということになるようです(画像参照)。
Kannon01
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 一方、その翌週に突然あらわれる金髪のお方は(別"人"であるとすれば)1972年3月6日号のトビラが初登場のようです。この時、よく見ると衣装が少し違っていて、袖口に縁取りがあるのですけれど、この服は以後着用しておられないようです。
 初登場と再登場でかなり印象の違っているキャラクターとしては、エンマ(閻魔大王)が、この部分の他に後の『初恋地獄編の巻』にも出てくるのですけれどあきらかに容姿が同じではありません。この場合、エンマというのは肩書きであって名前ではなく再登場しているのは二代目(?)の"別人"なのではといった推理もまあ、できなくはないかも知れないですが……。しかし観音さまの場合、黒髪に、もすその長い服で登場し、そのすぐ翌週(!)、金髪に活動的な服装で突然現れているのだから、謎は深まるばかりです。
Kannon03
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 もし"同一人物"なのだとしたら外見が異なっているのはなぜか? という点ですけれど、なにしろ普通の女性ではないので、髪の色や形状を自分で変えるくらいは何でもないのかも知れません。衣装は、執務服(?)としては主にトーガのようなものを着用し、地上任務で使命を果たす時にはパンタロンに着替えている……なあんて。ついでに言うとこの活動的な衣装のほうは中国というよりむしろ、ベトナムの服であるアオザイに似ているような感じがしますねえ。
 また、他の説としては、黒髪のほうも金髪のほうも両方が別個に存在していて"姉妹(?)"なのではないか、なんて考え方もできるかも……?

黒魔王の巻

13_8(少年チャンピオン 1972年3月13日号~3月20日号)

 徒歩で旅する悟空たち。すでに夜なのだがあたりは砂漠で何も無く、三蔵は空腹に苦しむ。やっと寺を発見し「とめてもらおうぜ」と立ち寄るのだったが、「なんだかあやしいふんい気」だと八戒はいぶかる。不幸にして直感は正しかった。ごく普通の物理的な力で向ってくる相手なら負けないが、出現した敵は……。

*八戒の衣服(ズボン)が前回と異なり、無地だったものに模様が入っている。旅の途上で買い換えたとみるべきか?
 いよいよ敵(地獄軍団)との接触があり、これが最初の戦闘となっている。観音さまが知恵を貸す形で指揮をとるのみならず、自身で作戦に参加しているのは興味深い。こうしたこともあって当時の読者は(仮想体験の中で読者と行動を共にする仲間として)観音さまに親近感を強く持つようになったのだろうか。
18b 連載第1回目で明らかになっているが、悟空は仙術によって自由に空を飛びまわっている。この「雲に乗ってるみたいだ」と感じられる飛行手段の名称が「キント雲の術」なのであって、「キント雲」という一種の"乗り物"を使っているわけではないようだ。それでもまだ悟空の足下には雲とおぼしきものがちょっぴり描かれているのだが、全く描かれていないコマの方がむしろ多いのではないかと思われる。そのせいか今見ると、どうも僕は悟空の姿にどこか手塚治虫『鉄腕アトム』を連想するのだが……(おまけに黒魔王までがなんとなく「お茶の水博士」に似ているみたいに感じられてくる)。作者の脳裏に、無意識にでもそうしたイメージがあったかどうか分からないけれど。
 劇中にある「哀号」は朝鮮語の感嘆詞のようで、中国語だと「アイヨー」になるかもしれないが、良く分からない。
 連載当時は現在ほど著作権管理がこまかくなかったのか、僕の記憶が正しければ観音さまは欧陽菲菲(オーヤン・フイフイ)『雨のエアポート』を歌っていた。

黄風盗賊会社埼玉支部の巻

14_7(少年チャンピオン 1972年3月27日号~4月3日号)

 「町だ! みんな食い物にありつけるぞ」と、大喜びの三蔵にひきいられて悟空たちは町へ入る。ところが三蔵は代価も払わず果物を勝手に食いまくり、あまつさえ露天商を足蹴にするのだった。驚いてこれをとがめる悟空だったが、沙悟浄や八戒も平気で三蔵にならい、一同はとうとう無銭飲食の悪党一味と成り果てる。しかし行く手には、本職の盗賊にして地獄軍団の伏兵である妖怪が待っていた。三蔵は捕らえられてしまい、敵の術には悟空さえもかなわず……。

*時々、アメリカ(とその大統領)をネタにしたギャグが出てくるのだが、これは連載当時の世界情勢が今以上にはっきりと東西対立の真っ只中にあったことの反映なのかも知れない?
 八戒は今回からさらにベタが入って黒い顔になっている(これは日焼けしたという……ワケじゃないだろうなァ)。悟空が踊っているのは「ピンポンパン体操」。その後にちょこっと描かれているやや写実的な人物には、たしか連載時「じゅんちゃんのつもりだけど、にとらんな ハハハ」とか手書きのコメントがあったと思う。おそらく井上順がTV司会で「ピース」といってVサインを示していたことが元ネタのギャグだろうと思われる。映画「座頭市」シリーズのパロディらしきナレーションが入っていた部分は単行本化にあたって書き換えられたようだ。
 「エレクトロニクス アルキメデス メガトン砲」なるものが出てくるがどう見てもヘアードライヤー(観音さまが左手でこれを持っているのはその名残か)。無気力プロには1977年頃、やはりドライヤーが置いてあって、生原稿のインクや墨汁やホワイトを乾かすのに使われていたのを目撃したことがあります。
 「プラザホテル」とは、1971年6月5日に東京都新宿区で開業したもので、当時ホテルとしては世界一の高さだったらしい。新宿にはこのあとも超高層ビルが次々と建てられてゆくが、これはその第1号となった建物。

初恋地獄編の巻

15_8(少年チャンピオン 1972年4月10日号)

 「おいはぎやりながら天竺までいこうぜ」という三蔵にひきいられ、悟空たちは通りがかりの者を襲って身ぐるみをはぐ。「やさぐれ三蔵と非情プロダクション」を名乗るようになった彼らは次のカモにおどりかかるも、今度の相手は3人の美女だった。その美しさに一発でまいってしまった悟空たちは、屋敷へ案内されて彼女たちから歓待を受ける。全員が恋におちてしまうのだが向こうは3人、けっきょく悟空だけがあぶれてしまい……。

*ある場面でエンマが登場するも、第1回に出てくるエンマとは別人なのか、だいぶ風貌が異なる。「よくある話じゃないか~」という台詞は、日吉ミミが歌っていた『男と女のお話』の一節か。

大根果の巻

16_7(少年チャンピオン 1972年4月17日号)

 徒歩で旅を続ける悟空たち。ふと人家へ目をやると、へんな実をつけている樹があった。「おや こりゃ大根果じゃないの 一口食べれば三万年生きられ おまけにどんなヒドイ顔もハンサムになるというやつよ」と沙悟浄が言うのを聞くや、三蔵も悟空も八戒も理性は吹っ飛んでしまう。さっそく大根果をかっぱらい、食べてみると……。

*トビラは、樹の幹に蛇が巻き付いていたり、裸の美女が描かれていたりするので、聖書の冒頭に出てくる"禁断の果実"のパロディらしい。「中国名産 タコヤキ」などという暖簾(のれん)をさげた店がある等、無国籍ごたまぜなのが楽しい。ちょっとSF風味の展開になっている点がいかにも吾妻マンガというべきか。

メーデー魔の巻

17_6(少年チャンピオン 1972年4月24日号~5月1日号)

 一匹の竜(?)が三蔵を発見し、とって食おうとたくらんで美女に化ける。全員だまされてしまうものの、悟空だけがその正体を妖怪と見破った。妖怪はこりずに何度も現れ、何度も悟空に敗れる。しかし何も分からぬ三蔵は「きさま めし食わせまいとしてイジワルしてんな」と怒り、悟空を破門してしまう。最大の戦力を自ら切り捨ててしまった三蔵たち一行は、よりによってこんな時に敵の手中へおちてしまい……。

*「デベロン」という効果音(?)は、児童向けTV番組『ママとあそぼう! ピンポンパン』に登場するキャラクターの名前をもじっている(と、かつて沖由佳雄さんが教えてくださったことがあります)。『世界ビックリアワー』というのはTVのショー番組(関東ローカル?)の題名で、たしか東京ぼん太が司会をつとめていたもの。「アタミ(熱海)」、「ユガワラ(湯河原)」、「カルイザワ(軽井沢)」はいずれも関東に実在する保養地の地名。『クイズ タイムショック』はこのころ田宮二郎が司会者だった番組。『山口百恵 木の内みどり』に『林寛子 一本やり』とある台詞は連載当時、たしかそれぞれ『オクムラチヨ ワダアキコ』に『オーヤンフイフイ オカザキユキ』となっていたと記憶する。
 遠くから音が伝わってくるのに時間がかかるという表現や、効果音だけで済ませてアクション場面を省略するといった大胆な試みに、作者の実験精神や意欲が見られると思う。

三妖怪の巻

18_6(少年チャンピオン 1972年5月8日号~5月22日号)

 悟空たち一行は、ついに地獄軍団のなわばりである地までやってきた。その到着は敵側に察知され、迎撃のための刺客が差し向けられる。芭蕉扇(ばしょうせん)を持つ美女の揚羽(あげは)、幌金縄(こうきんじょう)の使い手である銀角、そして恐ろしいトックリを武器とする金角の3名だ。彼らの強さは圧倒的で、揚羽ただ1人に悟空たち全員がやられてしまう。どうにか脱出した悟空は、単身で反撃に出るも大変な苦戦を強いられて……。

18a*奇妙な武器と計略による知恵比べの対決が、いかにも少年マンガらしい楽しさに満ちている回。最初の、八戒・沙悟浄・三蔵を紹介しているページは初出時、『黒魔王』の前編(少年チャンピオン 1972年3月13日号)冒頭で用いられたらしい。単行本化(朝日ソノラマのサン・コミックスによる最初のもの)においては『三妖怪』が第2巻の冒頭に来ているので、編集上の配慮から、主要登場人物を紹介しているこの1ページがこちらへ移動され、その原稿順序が扶桑社文庫版でもそのまま引き継がれたのだろうか?
「いかにもなんか出そーな山」の形状は、当時大流行していた時代劇『木枯し紋次郎』のパロディらしい。
 台詞にある「悟空の歌」は、手塚アニメ『悟空の大冒険』(1967年)エンディングテーマの一節(「作者が違う!」と悟空がツッコミを入れているのはそのためだ)。
18c 悟空がトックリに吸い込まれる場面は、見開きでタイトルの入った2ページが雑誌連載時にはあったと思う(吸い込まれた悟空が中でゴロンゴロン転がったりするコマがある)。もしかすると宇宙をバックにしている絵がその右半分だったかも知れない。
 まつ毛が長いのか、いつも笑っているような眼元をしている全身タイツ(?)の美女、揚羽がなかなか色っぽい。その彼女が最終的にどのように退治されたのか明確な描写は無い。また敵の墓(?)が描かれていたりするところに慈悲が見られる。このへん、うら哀しくもほっとする配慮だと思う。

石づくり姫の巻

19_6(少年チャンピオン 1972年5月29日号~6月5日号)

 「だれかこん夜の寝場所を捜しにいけ」という三蔵の命令で、悟空が偵察に行かされる。するとなぜか西洋ふうの城があり、悟空はそこの姫君と出あう。どうにか泊めてもらえることになって、悟空は三蔵たちを連れて来るべくいったん引き返す。しかしその間に、敵である地獄軍団は反撃の準備を整えていた。新たに任命された防衛長官は、「妖怪製造マシーン」を使い……。

*個性的な敵キャラクターが次々と登場し、かつその多くが可愛い女の子たちであるという大サービスは、この『きまぐれ悟空』の魅力のひとつだろう。今回出てくるメドーサは最初のうち全く無言で冷酷な気味悪さを漂わせているのだが、それだけに終盤で涙ぐむ娘らしい仕草や台詞が対比によっていっそう痛々しい。こうした演出の巧みさは他にも、柱の陰から最後の力をふりしぼって現れ悟空に警告する沙悟浄の姿などに効いている。主人公ももちろんで、石像にされてしまった姫にむかい(言ったところで聞こえはしないだろうにあえて)「きっともとどおりにしてやるからね!」と決意の挨拶を言うくだりは、冗談抜きでかっこいい。
 「心の図書室」というのはもしかすると、当時の不動産CMで用いられた言い回しのパロディか。
 地獄軍団の総帥(?)らしき独眼のキャラクターは、今回から制帽のようなものをかぶっており、外見として分かり易くなっている。

観音さまがイッパイの巻

20_5(少年チャンピオン 1972年6月12日号~6月19日号)

 通行人に刃物を突きつけて「オフセ」を出させたうえ「そうしきをやってさしあげ」るという方法でカネを得た三蔵たち。割烹(かっぽう)で酒宴を開き、「あすの命も知らぬ身だもん」と馬鹿騒ぎをしていたら、そこへ観音さまが現れた。大慌てする三蔵たちだったが、珍しく彼女は怒りもせず、宴会に加わる。あまつさえしまいには、三蔵が散歩に誘われ、やがて沙悟浄も八戒も個別に誘われ外へ出てゆく。果たしてこれは、酔いがまわってきたための幻覚なのだろうか……?

*冒頭、吾妻ひでお作詞作曲の『きまぐれブルース』がちゃんと楽譜で公開されている(このような、作者自らによる主題歌までが発表されている作品は吾妻マンガでおそらく他に無い)。今回なぜか絵がちょっと違っており、ペン入れまでを作者が行なってはいなかったのではと思われるのだが理由は不明。観音さまの身体的な秘密(左ひじのホクロ、左脚の疱瘡(ほうそう)あとなど)が明らかになっており、彼女のファンにとって非常に重要な回なのだが……。不可思議な点は他にもあって、敵の「地獄軍団」がここでは「悪魔軍団」となり呼称に違いが見られる。
 敵であるムセッソーは雑誌連載当時、『ハチのムサシは死んだのさ』 (平田隆夫とセルスターズの曲)を歌っていたと思う(単行本では山口百恵の歌のようになっているが)。イメージマシーンなどSFマンガ的な武器が登場し、いかにも吾妻マンガ。敵側に制帽をかぶっている者がいるのは、前回まで独眼だった総元締めと同一人物か。
 いま開戦したら天国側が負ける、だから最終兵器をなんとかしなくてはならないという事情が、ここでより明確に説明されている。

終わりのはじめの巻

21_6(少年チャンピオン 1972年6月26日号~7月10日号)

 悟空、沙悟浄、八戒らに牽引させ、空路を行くことにした三蔵。結局これは中止したが、ともあれいっきに天竺までの距離を縮めることには成功したようだ。しかしそこへ怪しい黒雲が近づく。その雲の中には、敵の放った工作員である女の子が隠れていた。彼女の術に全員がやられてしまい……。

*この部分で最後の対決相手として登場するキャラクターはいかにも切り札らしく、攻撃・防御とも特徴ある戦術の使い手となっている。にもかかわらず名前は不明。惜しいので、似てないながら似顔絵を1枚描いてみました。
Assassin1
 ぬりえも1枚、ふろくにしておきます(BMP形式とかで保存し直して遊んで下さいね)。
Assassin2
 さて、ついに最終回。本当に迫力と臨場感のある結末になってると思う。沙悟浄が「ミュータントゆえに迫害されたつらい人生に別れを告げ」と述べ、悟空は「自由になれる!」と喜びをあらわにします。そうしたテーマ的な部分では掘り下げにやや不足もあるかも知れないけれど、そもそもギャグマンガなのだし、編集部の指示で連載短縮とかもあったかも。しかしそれらを補って余りあるくらい、とにかく演出がいい。雑誌連載当時、読了した後ぼくはしばらく放心状態になりました……。SFマンガ的な結末も見事。
21a 最終回はアバンタイトル(コマ周囲の縁取り部分がベタになっている)が1ページあったあと見開き2ページで題名が出るのですが、この時の絵は悟空たちが海岸で沈む夕陽をみつめている(三蔵はウナギを獲っている?)構図だったようです。しかし今考えるとこれ、実は「太陽」ではないのかも(白黒で描かれているので真相がよく分からない)。なお、コマをはみ出している悟空の足先がかかって構図上方に空白ができるのが一因だったか、右ページ下段にあった部分が単行本では後になり、順序が逆になったようです(「観音さまのせいだぞ」の台詞が最後にきて、次のページに続くのが正しい)。
 (注:以下は単なる個人的な感想です)
 今日の記事で最初にある画像は観音さまの横顔アップになっているのですけれど、雑誌連載時は(B5サイズゆえ)これがほぼ"実物大"になり、はっとして見つめた記憶があります。今どきでも、ゲームのヒロインとかを"実物大"に描き、しかも目を閉じてキスされるのを待っているみたいな表情になっているといったポスターとかが存在するらしい(?)ですが、そういう要素に通じるものがこのトビラにはありましたね。作者たる吾妻先生としてはそのような意図は無く、普通の肖像画としてお描きになられたのでしょうけれども、読者の立場だとそういう冷静なところにはとどまれません。そっと触れてみると観音さまの頬や唇は優しく柔らかく温かかった……(ような気がした)。まだ半分子供の年齢だったからそうした空想と現実の錯綜を経験できたのか、マンガ中毒な読者ゆえにそういう半分正気を失っているような錯覚を起こすことが可能だったのかよく分かりませんけれど、ともあれこの『きまぐれ悟空』が僕にとって、そんな「半現実」みたいな認識で読むことができた最後のマンガになったのでした。
 このあと吾妻先生はいくつかの読みきり短篇を発表され、ついで『ふたりと5人』の連載が始まったのはご存知のとおりです。吾妻マンガでこの『きまぐれ悟空』に見られたような物語性はやがて失われてゆき、マンネリズムを嫌う(いかにも伝説的な前衛マンガ雑誌『COM』をリアルタイムで読んで考え抜いた世代らしいというべきでしょうか)あまり、やがて物語という根本の約束事をさえ自ら破壊し捨て去って、不条理という方角に可能性を模索するようになっていったという印象を受けました。僕は今でもそうしたいきさつを時々残念に思ってしまうのですけれど、やはりこれは望ましからざる悪質なファンの身勝手なのかも知れませんね。

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